コンサート備忘録(アンジェラ・ヒューイット)

d0135403_1162154.jpg2008年1月20日(日) ロイヤル・フェスティヴァル・ホール

Piano) アンジェラ・ヒューイット

バッハ 平均律クラヴィーア曲集第1巻

(写真がブレていて申し訳ありません)



アンジェラ・ヒューイットは有名なピアニストであり、ここで紹介するまでもないだろう。

彼女の演奏は、日本に居た頃からCDでよく聴いており、好感を持っていた。ロンドンに来て、何度か生の演奏を聴くにつけ、ますます好きになっていった。

アンジェラのコンサートは人気があり、チケットを取るのは、かなり大変である。ウィグモアホールのリサイタルでは、会員向け先行発売で売り切れてしまうことがほとんど。3000席近いロイヤル・フェスティヴァル・ホールでも、良い席は発売開始とともにどんどん売れていく。今日のコンサートのチケットは昨年の4月1日に取ったものだ。

同行するはずだったAさんは他の予定が入って行けなくなり、リセールをかけたところ、ピアノの先生でもあるRママが引き取ってくださった。早めに取っただけあって絶好のポジションで聴くことができ、Rママにも喜んでいただけたと思う。

この演奏会、心が洗われる素晴らしい演奏会だった!

アンジェラのピアノは、尊大でも威圧的でもなく、歌と慈愛に溢れ、心地良く流れていく。しかし、その根底にある技術は恐ろしいほどの完成度を持っており、ゆるぎのない確信を感じさせる。

冒頭の有名なハ長調のアルペジョ、この出だしでいきなりハートを掴まれてしまった。ごく小さいピアニシモで奏されながら、全ての音は明瞭に聞こえ、しかしレガートで、優しく、聴き手の心に響いてくる。伸びやかで、広がりを持っている。こんなに優美で繊細な平均律は聴いたことがない。

アンジェラの弾くバッハは、かなり自由なバッハだ。テンポもダイナミクスも表情も、かなり変化をつけている。でも、その自由さには節度があり、バッハの様式感を損なうことは決してない。自然で大らかな伸びやかさがあり、品格がある。そして根底には常に暖かさがある。彼女のピアノは、聴き手を幸せな気持ちにさせる。

どこを取っても、本当に良く考え抜かれて、完璧にコントロールされている。プロフェッショナルの演奏である。右手と左手が完全な協調を保っている。巧みな声部の弾き分けと受渡し。信じ難いほどの完成度だ。

d0135403_1022555.jpg今日はFazioliのピアノを弾いていた。Fazioliは数年前にこのホールに入ったようで、2006年10月にニコライ・デミジェンコ(Nikolai Demidenko)がこれを弾いたのが、私の記憶にあるところでは一番古い(それより前からあったのかもしれないが、気に留めていなかった)。明るい音だが、キンキンするところが全くなく、音の調和が素晴らしいピアノである。職人技で作られており、年間数百台しか作られないという。

Fazioliを気に入っているピアニストは多いようで、関本昌平氏も好きだと言っていたし、ロンドンをベースに活躍しているWさんも「Fazioliを一度弾いてすっかりとりこになってしまった。音がハーモニーで響くんですよ。」と言っていた。今日の演奏の、最後の和音のえもいわれぬ美しい響きを聴くと、Fazioliがピアニストを惹き付けるのも頷ける。

アンジェラは、きっと、演奏だけではなく、人格的に素晴らしい人物なのだろう。人間力が演奏ににじみ出ている。今日はロイヤル・フェスティヴァル・ホールが満席だった。ピアノソロでここを満席にするのは凄いことだが、それだけでなく、聴衆の集中力がいつもと全く違っていた。通常、ここの客席はかなりがさつで、ノイズが大きいのだが、今日は、ホール全体がアンジェラのピアノに聴き入っていることが痛いほど感じられた。皆、アンジェラのピアノが好きで聴きに来ているのだ、という感じを強く受けた(前回のリサイタルでも同様の印象を受けた)。

誠実で、真剣で、暖か。歌心。本当に、この人の演奏は、好きにならずにはいられない。

アンジェラは派手さはないけれど、大勢の聴衆から心底愛され、その期待どおり素晴らしい演奏ができる、偉大なピアニストだ。「私のお気に入りピアニスト、ベスト5」を挙げるなら、ソコロフ、ツィメルマン、エマールと並んで、彼女の座は堅い。

RFHを満員にするピアニストは彼女だけではなく、ポリーニも、ランランも、そのくらいの人気を持っているが、会場に詰めかける聴衆の質が、アンジェラの場合は少し違っているように思える。皆、彼女の演奏が好きでたまらない、そういうファンで会場が埋まっているようだ。ソコロフも圧倒的な人気を持っているが、彼の場合は支持層がもっとマニアックで、通受けする。ポリーニは名声で、ランランはミーハー層の支持があって人が集まる。アンジェラは、老若男女問わず、本当に彼女の演奏が大好きな人で会場が埋まるピアニスト、という印象である。

こういうピアニストは他にはあまり知らない。強いて言えば、マリア・ジョアン・ピリスか。いやいや、アンジェラの圧倒的な人気には到底かなうまい(あくまでも、英国においての人気度であるが)。

ひょっとすると将来、アンジェラのようなピアニストになるかもしれない、と思うピアニストが一人いる。アンジェラは人気先行ではなく、裏づけとなる高い技術と音楽性を持っている。このピアニストは、現段階ではそのレベルに到底及ばないが、ポテンシャルはある。今後、どれだけ技術に磨きをかけられるか、そこにかかっている。
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by bibinga | 2008-01-20 23:30 |  

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