コンサート備忘録(キーシン/プロコフィエフ P協奏曲第3番)
2008年1月24日(木) ロイヤル・フェスティヴァル・ホール
ウラディーミル・アシュケナージ指揮
エフゲニ・キーシン(P)
フィルハーモニア管弦楽団
ルーセル バッカスとアリアーヌ組曲第1番
プロコフィエフ ピアノ協奏曲第3番
プロコフィエフ 交響曲第6番
ロンドンではキーシンを聴ける機会が多い。ほぼ毎年リサイタルを開くし、協奏曲のソリストとしても良く登場する。私は全部聞いているわけではないが、それでももう6度目になる。これまで聞いてきたキーシンのピアノは、技術の高さには感心するが、なんというか、「魂」が欠けており、どこかうつろに感じることが多かった。
しかし、今日のプロコフィエフ P協奏曲第3番は、、、、圧巻だった!
ピアノを弾く姿はいつもどおり、淡々としていてそっけない。しかし、物凄いテンションの高さを感じる。何かが乗り移っているようだ。出てくる音にもエネルギーが溢れている。キーシンはこの曲と相性が良いのか、それともこの協奏曲は、キーシンに限らず、弾くピアニストをその気にさせてしまう力を持っているのか・・・。
こういうテクニック的にも難しい(だろうと思われる)曲は、「弾くだけでやっと」というピアニストが弾くと聴く方はハラハラして楽しめない。その点、キーシンはいとも簡単そうに弾いてのけ、不安を微塵も感じさせない。全ての音が明瞭。全ての局面においてダイナミクスがきっちりと計算され、完璧にコントロールされている。リズム感も抜群で、ものすごい切れ味だ。そして時折りふっと見せる優しく美しい表情。弱音が本当に美しい。
これだけ見事に弾かれると、恐れ入りました、としゃっぽを脱ぐしかない。そう感じたのは私だけではなかったようだ。会場の大拍手はいつまでも鳴り止まず、キーシンはアンコールを弾いた。
(→プロコの曲なのですが、曲名がわかりません。どなたか会場にいらっしゃった方、ご存知でしたら教えてください。)
キーシンは「ピアノ一筋」なんだろうなぁ、と思う。(あくまでも印象であって、本当のところはどうかわからない) かつてロンドン交響楽団とベートーヴェンのP協奏曲4・5番を弾いたコンサートがあり、その時、リハーサルを見学させてもらった。キーシンは休憩時間中も、一人ステージに残ってずっとピアノを弾いており、その姿に「キーシン-ピアノ=何も残らない」のではないかと思ったものだ。こういう「ピアノの虫」的な部分が、技術は達者だけれど、枠の中に納まっていて今一つ物足りないことと繋がっていたのではないかとも思う。でも、今日の演奏には、なにか今までと違うものがあった。そろそろ脱皮し始めているのかもしれない。
アシュケナージの指揮は、毎度のことながら無骨でアジケナーイ。ポキポキしすぎているし、モノトーンだ。ただ、小細工に陥らず、大きな流れを捉えている点は素晴らしいと思う。彼の指揮を見る度に、指揮棒を左手に突き刺して途中降板した有名な話(その時のオケはN響)を思い出し、大丈夫かと冷や冷やする。今日は指揮棒が刺さることもなく、協奏曲ではキーシンのピアノに負けない緊張感のある伴奏をつけ、プロコの6番では弦楽器からこの曲の深みを十分に伝える悲痛な音色を引き出すことに成功していた。
余談だが、キーシンは、日本人がサインを頼むと、片仮名で「キーシン」と書いてくれる。キーツソになったりしないのは立派。
ウラディーミル・アシュケナージ指揮
エフゲニ・キーシン(P)
フィルハーモニア管弦楽団
ルーセル バッカスとアリアーヌ組曲第1番
プロコフィエフ ピアノ協奏曲第3番
プロコフィエフ 交響曲第6番
ロンドンではキーシンを聴ける機会が多い。ほぼ毎年リサイタルを開くし、協奏曲のソリストとしても良く登場する。私は全部聞いているわけではないが、それでももう6度目になる。これまで聞いてきたキーシンのピアノは、技術の高さには感心するが、なんというか、「魂」が欠けており、どこかうつろに感じることが多かった。
しかし、今日のプロコフィエフ P協奏曲第3番は、、、、圧巻だった!
ピアノを弾く姿はいつもどおり、淡々としていてそっけない。しかし、物凄いテンションの高さを感じる。何かが乗り移っているようだ。出てくる音にもエネルギーが溢れている。キーシンはこの曲と相性が良いのか、それともこの協奏曲は、キーシンに限らず、弾くピアニストをその気にさせてしまう力を持っているのか・・・。
こういうテクニック的にも難しい(だろうと思われる)曲は、「弾くだけでやっと」というピアニストが弾くと聴く方はハラハラして楽しめない。その点、キーシンはいとも簡単そうに弾いてのけ、不安を微塵も感じさせない。全ての音が明瞭。全ての局面においてダイナミクスがきっちりと計算され、完璧にコントロールされている。リズム感も抜群で、ものすごい切れ味だ。そして時折りふっと見せる優しく美しい表情。弱音が本当に美しい。
これだけ見事に弾かれると、恐れ入りました、としゃっぽを脱ぐしかない。そう感じたのは私だけではなかったようだ。会場の大拍手はいつまでも鳴り止まず、キーシンはアンコールを弾いた。
(→プロコの曲なのですが、曲名がわかりません。どなたか会場にいらっしゃった方、ご存知でしたら教えてください。)
キーシンは「ピアノ一筋」なんだろうなぁ、と思う。(あくまでも印象であって、本当のところはどうかわからない) かつてロンドン交響楽団とベートーヴェンのP協奏曲4・5番を弾いたコンサートがあり、その時、リハーサルを見学させてもらった。キーシンは休憩時間中も、一人ステージに残ってずっとピアノを弾いており、その姿に「キーシン-ピアノ=何も残らない」のではないかと思ったものだ。こういう「ピアノの虫」的な部分が、技術は達者だけれど、枠の中に納まっていて今一つ物足りないことと繋がっていたのではないかとも思う。でも、今日の演奏には、なにか今までと違うものがあった。そろそろ脱皮し始めているのかもしれない。
アシュケナージの指揮は、毎度のことながら無骨でアジケナーイ。ポキポキしすぎているし、モノトーンだ。ただ、小細工に陥らず、大きな流れを捉えている点は素晴らしいと思う。彼の指揮を見る度に、指揮棒を左手に突き刺して途中降板した有名な話(その時のオケはN響)を思い出し、大丈夫かと冷や冷やする。今日は指揮棒が刺さることもなく、協奏曲ではキーシンのピアノに負けない緊張感のある伴奏をつけ、プロコの6番では弦楽器からこの曲の深みを十分に伝える悲痛な音色を引き出すことに成功していた。
余談だが、キーシンは、日本人がサインを頼むと、片仮名で「キーシン」と書いてくれる。キーツソになったりしないのは立派。
by bibinga | 2008-01-24 23:55 | 音