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アンジェラ・ヒューイット補足

1月20日に聴いたアンジェラ・ヒューイットのバッハ平均律が素晴らしかったことは日記に書いた

さっき知ったのだが、このリサイタルの前日、アンジェラのお母さんが亡くなったのだそうだ。

 ・ 母親の死の翌日、リサイタルをキャンセルせずに3000人近い聴衆の前でピアノを弾く、
   そのプロフェッショナル魂。
 ・ そのようなショックの真っ只中にいることを全く感じさせない、集中力のある演奏。
 ・ 満場の拍手喝采に応えての笑顔。

頭が下がる。本物のプロフェッショナルの凄さに感服した。

(この情報は、ある記事で読んだものであり、裏付けを取っていません。万一間違っておりましたら、お許しください)
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by bibinga | 2008-01-28 00:37 |  

コンサート備忘録(ヤノフスキー指揮スイス・ロマンド管弦楽団)

d0135403_82641.jpg2008年1月27日(日) バービカン・センター

マレク・ヤノフスキー指揮
ニコライ・ルガンスキー(P)
スイス・ロマンド管弦楽団

モーツァルト ピアノ協奏曲第21番ハ長調
ブルックナー 交響曲第5番変ロ長調



六本木と言えばアマンド、スイスと言えばスイス・ロマンド。
肩こりと言えばアンメルツ、スイス・ロマンドと言えばアンセルメ。

LP時代からのクラシックファンなら、「アンセルメ&スイス・ロマンド管弦楽団」という名前は強烈に記憶に残っているはずだ。しかし、近年、スイス・ロマンドという名をとんと聞かなくなり、存在を忘れかけていた。正直、「まだ、あったのか・・・」と思ってしまった。プログラムがブル5で無ければ、マイナーになってしまったこの楽団を聴くために日曜の夜にバービカンまで出かけていくことはしなかっただろう。

チケット代が安い。外来オケなのに、ロンドンを拠点とするロンドン交響楽団やフィルハーモニア管弦楽団よりも安いのだ。団員と楽器を飛行機で運んで、ホテル代もかかるだろうに、こんなことで採算が合うのだろうかと、他人事ながら心配になってしまう。これって、つまりこれほど安くしなければ客が入らないということだろう。往時の名門オケもすっかり落ちぶれ、これでは大した演奏は期待できないな、と思っていた・・・。しかし、この期待は、良い方向に裏切られることとなる。

前プロはモーツァルトのピアノ協奏曲第21番ハ長調。

ソリストはルガンスキー、1994年のチャイコフスキー・コンクール優勝者だ。スケールが大きく、力のある骨太のピアノ。指が非常に良く回り、音楽をはっきりとしゃべっている。(「はっきりしゃべる」ことは演奏において非常に重要なことだと常々考えている)

色の変化はあまり無い。まばゆい白い光。その光が強くなったり、弱くなったりという変化はあるが、赤・青・黄色に色を変えることは無い、という印象である。結果的にそうだったのか、意識的にそうしようとしたのかは不明だが、この音色が、ハ長調という調性にマッチしていたのは確かだ。

個人的には、モーツァルトはもっとデリカシーを持って弾いて欲しいと思うが、まあ、それは趣味の問題だろう。オケは予想に反して、なかなか上手い。俄然、後半が楽しみになってくる。

メインはブルックナーの5番。

不思議なことに、ロンドンではブルックナーが演奏される機会は少ない。せいぜい、外来オケがプロムス(夏の音楽祭)で取り上げるくらい。在ロンドンのオケが取り上げることは滅多になく、5大オケ全部合わせても年に1度あるかどうかだろう。そのような中、直近1年は、コンセルトヘボウの3番・8番、ウィーンフィルの4番、そして今回のスイス・ロマンドの5番と、ブルックナーの当たり年だった(外来オケばかりだが)。

マレク・ヤノフスキーの振るブル5は、2年前に1度聴いている。といっても、ロンドンではなく、ベルリンにてベルリン放送交響楽団で聴いた。(いくら物好きの私でもベルリン放響を聴くだけのためにベルリンまで出かけるわけはなく、この時は、昼にベルリンフィル、夜にベルリン放響のダブルヘッダーだった。しかも会場も同じフィルハーモニーザール。ベルリンフィルではハイティンクのドタキャンに見舞われ、アラン・ギルバートのベルリンフィル・デビューを聞かされるはめになったが…)

その時のヤノフスキーの印象がとても良かったので、スイス・ロマンドの実力に懸念は抱きつつも、多少は期待する部分もあった。実際はどうだったかといえば、、、

スイス・ロマンドは在ロンドンのオケより、上手い! ロンドン交響楽団にしても、フィルハーモニア管弦楽団にしても、演奏会の回数が多すぎるのか、彼らの演奏はどこかくたびれていて、角が崩れているような気がする。たまに巨匠が振るとぐっと引き締まった素晴らしい演奏をするので、能力は高いはず。普段は疲れているか、やる気がないか、手抜きしているか、のどれかとしか思えない。彼らより、今日のスイス・ロマンドの方がずっと上だ。(もっとも、スイス・ロマンドも演奏旅行だからこそ気合いが入ったのであって、本拠地のジュネーヴでは同じようにヘタっているのかもしれないが…)

スイス・ロマンドの音は、明るくて、音に輝きがある。重すぎず、良い意味での中庸の軽さを持っている。音色の傾向としては、ベルリンフィルに近いと言えなくもない。

トゥッティではエネルギーを湛えた張りのある音が素晴らしい。「内転筋の引き締まった太もも」を思わせる。(ほんとか?) 響きの薄い箇所、テンポの遅い部分で緊張感が切れそうになる危うさもあったが、全体として、音色的にもアンサンブルの精度も、かなりのレベルにある。弦楽器が朗々と鳴って気持ち良い。管はパートによって若干バラツキがあるが、ラッパとフルートが上手い。

ヤノフスキーの指揮は、大きな構造を把握し、音楽の流れを大切にしながら、効果的にクライマックスを作っていく。場面転換が明確で、しかもそのつなぎが自然である。テンポ、ダイナミクスがきっちり計算されていて、それが実際の音に表れるよう、オケをグリップし、コントロールしている。息の長いクレッシェンドは特に見事。「ご利用は計画的に」をきちんと守っているからこそ、これができる。

どの楽章も素晴らしかったが、大きなフレーズの中で迫り来るうねりを見せた第2楽章と、絢爛たる音の大伽藍が3次元的に聳え立って見えた第4楽章が、とりわけ良かった。

それにしてもブル5は、内容の濃い曲である。聴き終わって頭の芯がびりびりと痺れるような疲れを覚えた。

終演は10時近く、家に着いたのは11時前であったが、こういう熱演を聴いた後はクールダウンしないと眠れない。まず風呂に入って、それから夕食と晩酌である。お好み焼きを作ろうかと思ったが、深夜に食べるにしてはカロリーが高すぎると思い直し、ワインのつまみ程度の軽い食事にとどめる。(おお、めずらしく自制心が働いた!)

どういうワインを選んだかは、、、、、、このブログの読者なら察しがつくであろう。

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Gevrey-Chambertin Cherbaudes 2004 (Domaine Fourrier)











そう、ブル5の後は、ブルゴーニュ。
(すぐ上にブル5というヒントもあり、この展開は簡単に読めたでしょう?)

ブルゴーニュはジュヴレ=シャンベルタン村の1級畑、シェルボードである。この畑はマジ=シャンベルタン(特級)のすぐ下、シャペル=シャンベルタン(特級)の並びにある良い畑だ。

フーリエは、ロンドン1のワインマニアだと私が信じるM氏のお気に入りの生産者である。フーリエの真骨頂はグリオット=シャンベルタンやクロ・サンジャックにあるのだが、この2つは生産量が少ないため、M氏のような本気モードの愛好家が争奪戦を展開し、瞬間蒸発してしまう。それに比べてシェルボードはお気楽銘柄なので入手は容易、価格もこなれている。私のような「ほどほどのワイン飲み」には丁度良い。

パワーがありながらも優しいワインだ。紫、赤、両方の要素を持っている。気品があって、どこか涼しげ。天候不順の04にしては酸と果実味のバランスが良く、香りも立っている。美しいワインだ。疲れた体にすーっと染みわたり、ゆるゆると精神を溶かしていく。

ワインをゆっくり飲みながら、ナタリー・デセイの日記を書く。デセイの美しい声が頭の中に蘇ってきて、ワインと呼応する。もう1時を回っているが、音量を絞ってデセイの新作CDをかける。2時半、日記を書き終わる。グラスを洗う。3時、こういうゆったりした時間と別れるのは寂しいと思いつつ、寝床に向かう。ああ、明日は月曜日だ…、と思いながら眠りに落ちた。
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by bibinga | 2008-01-27 23:55 |  

コンサート備忘録(ナタリー・デセイ)

d0135403_10191114.jpg2008年1月26日(土) バービカン・センター

ソプラノ)ナタリー・デセイ
エヴェリーノ・ピド指揮
コンチェルト・ケルン

※ デセイの日本語標記について、ドゥセとするのが原語の発音に近いと思われるが、ここでは一般的な標記に従いデセイを使っている。そうしないと、ドビュッシーもドゥビュッスィーと書かねばならなくなってしまうので(笑)。


ドニゼッティ ロベルト・デヴリュー序曲
ドニゼッティ マリア・ストゥアルダ~ O nube (雲よ)
ベッリーニ  清教徒~O rendetemi la speme(私に希望を返して)

ケルビーニ 交響曲二長調
ヴェルディ リゴレット~Gualtier Malde - Caro nome(慕わしき人の名は)
ヴェルディ 椿姫~第1幕への前奏曲
ヴェルディ 椿姫~E strano - Ah, fors’e lu - Sempre libera(不思議だわ-そはかの人か-花から花へ)

プログラムを知って「おお!」と思わず声が出る。ナタリーで聞きたかった名アリアばかりだ。

しかも、椿姫が入っている。ロイヤルオペラで椿姫を上演中であることは先日来書いているとおりだが、まさにこの日のこの時間、ロイヤルオペラではネトレプコが復活して椿姫を歌っている。このプログラムは「ネトレプコへの挑戦状か?」などと勘ぐってしまう。(実際はそうではなく、新作CDの収録曲どおり、というのが真相のようである)

ナタリー・デセイのCDやDVDは以前から持っているが、初めて生を聴いたのは昨年1月ロイヤルオペラでの「連隊の娘」だった。この時のナタリーの歌と演技があまりに素晴らしく(共演のフローレスも抜群だったが)、すっかり惚れ込んでしまった。ロンドンでは滅多に歌ってくれないので、今日の演奏会を首を長くして待っていた。

1曲目はオケのみ。コンチェルト・ケルンは名の通ったピリオド系アンサンブルである。技術水準はまずまず。ピドの指揮に応えて、乗りの良い演奏。

2曲目、ナタリーが黒のドレスで颯爽と登場。その姿のなんと凛々しくカッコイイことよ!
ところが、ナタリー、オケが演奏を始めているのに咳をしている。体調が悪いのか? 
果たして声はやや詰まり気味で、高音もどことなく苦しそうである。

ベッリーニは少し改善。曲の素晴らしさにも助けられ、プチ感動。
結局、前半は今一つ調子の出ないまま終了。

後半の最初はオケのみのケルビーニ。長くて飽きる。

後半2曲目、ジルダ。ナタリーは、黒のスーツで登場。袖の折り返しの鮮やかなピンクが洒落ている。うーむ、超カッコイイ。ひゅうひゅうっ!(内心叫んだだけで、声は出してません)

前半とはうって変わって声が伸びてきた。いやー、いいんじゃないの、これ。最後のトリル、ひっぱるひっぱる。ずーっとトリルを続けたまま、ステージを降りて楽屋に消えていった。細い糸1本、ピーンと張り詰めているようだ。ppだが、2階席まで信じられないくらい明瞭に届いてくる。ブラヴァ!!
(何をとち狂ったか、今日のコンサート、サークル席を買ってしまっていた・・・。でも、結果的には全く問題なし。この人の声はものすごく良く通る)

d0135403_10201820.jpgトリはいよいよトラヴィアータ。ロイヤルオペラで14日にネトレプコ、17・23日にヤオで聴いているだけに、比較が楽しみである。

(23日のヤオの歌いぶりは日記には書かなかったが、17日をはるかに上回り、素晴らしい出来であった。この人のヴィオレッタ、今後相当人気が出るのではないか? 右はヤオの23日のショット)


ナタリーのトラヴィアータは、ネトレプコともヤオとも全く異なっている。「至芸」というに相応しい。歌も身振りも、吸い込まれそうに魅力的だ。声そのもの、表情付け、動作の一つ一つ、全てに香りがあって、感性のスイートスポットにカツーンとくる。エレガント、キュート、コケティッシュ、チャーミング、ソフィスティケイティド、インテリジェント、、、、と形容詞は幾つも思い浮かぶけれど、どんな言葉も陳腐に思えてしまう。

ネトレプコがパワーで圧倒する「押しの芸」だとすれば、ナタリーは彼女の魅力が人を惹き付ける「引力の芸」と言えるかもしれない。ヤオは、、、ヴィオレッタへの「同化の芸」か。

前向きなヴィオレッタ(ネトレプコ)、薄幸のヴィオレッタ(ヤオ)、素敵で愛さずにいられないヴィオレッタ(デセイ)、三者三様の個性である。(ちょっと短絡的すぎるか・・・)

ナタリー・デセイの魅力は、シルヴィ・ギエムに通じるところがある。この2人は、まさにフランスの誇る人間国宝だ。この2人のステージは見られる限り、何度でも見たい。

ネトレプコがどんなに凄くても、ナタリーの前では、所詮「下町の玉三郎」に思えてしまう。芸のレベルが違いすぎる。うーむ、つい昨日までアンナにネトレプコに入れ込んでいたのに(つまらない駄洒落で失礼)、我ながら心変わりが早いな…。

アンコールは2曲。1曲めは知らない曲だったが、2曲目はルチアだ。これがまた素晴らしい。涙ちょちょぎれる。

d0135403_10204184.jpg終演後、サイン会があった。コンサートが終わるとそそくさと家路を急ぐのが常で、こういう催しには興味が無いのだが、今日だけはナタリーを至近距離で見たくて、会場で一緒になったMさんと列に並んだ(正確には、Mさんにダッシュして並んでいただいた)。


d0135403_10114791.jpg新作CDにナタリーのサインをもらって、気分は上々。このCDにはアンコールのルチア含めて今日の演目がそっくり収録されており、伴奏も同じピド&コンチェルト・ケルン。良い記念になった。





帰り道、地下鉄車両の向かい側座席に、日本人と思われる女性が2名。
 ・ 1人はi-podを聞きながら、おとなしく座っている、、、と思いきや、突然、くわっと目を見開
   き、ニッと歯を剥き出した。かなり異様で、びっくりしましたよ。
 ・ もう1人は英国人(らしき)男性といちゃついており、容姿もさることながら、その媚びた態
   度の醜さは正視に耐えない。どうせなら、もっとカッコ良く。
近年、日本人も自分を魅力的に見せられるようになってきたと思うが、まだまだそうではない人も多いのだ。ナタリーとのあまりの落差にげんなりしてしまった。

かくいう自分自身も、メタボ街道まっしぐら、服装のセンスゼロ、辛辣なことを平気で言う嫌な性格、自分勝手、ととてもじゃないが、他人のことをとやかく言える立場ではない。クールでダンディでちょい悪のA氏を見習わねば・・・。
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by bibinga | 2008-01-26 23:53 |  

コンサート備忘録(キーシン/プロコフィエフ P協奏曲第3番)

d0135403_271096.jpg2008年1月24日(木)  ロイヤル・フェスティヴァル・ホール

ウラディーミル・アシュケナージ指揮
エフゲニ・キーシン(P)
フィルハーモニア管弦楽団

ルーセル バッカスとアリアーヌ組曲第1番
プロコフィエフ ピアノ協奏曲第3番
プロコフィエフ 交響曲第6番

ロンドンではキーシンを聴ける機会が多い。ほぼ毎年リサイタルを開くし、協奏曲のソリストとしても良く登場する。私は全部聞いているわけではないが、それでももう6度目になる。これまで聞いてきたキーシンのピアノは、技術の高さには感心するが、なんというか、「魂」が欠けており、どこかうつろに感じることが多かった。

しかし、今日のプロコフィエフ P協奏曲第3番は、、、、圧巻だった!

ピアノを弾く姿はいつもどおり、淡々としていてそっけない。しかし、物凄いテンションの高さを感じる。何かが乗り移っているようだ。出てくる音にもエネルギーが溢れている。キーシンはこの曲と相性が良いのか、それともこの協奏曲は、キーシンに限らず、弾くピアニストをその気にさせてしまう力を持っているのか・・・。

こういうテクニック的にも難しい(だろうと思われる)曲は、「弾くだけでやっと」というピアニストが弾くと聴く方はハラハラして楽しめない。その点、キーシンはいとも簡単そうに弾いてのけ、不安を微塵も感じさせない。全ての音が明瞭。全ての局面においてダイナミクスがきっちりと計算され、完璧にコントロールされている。リズム感も抜群で、ものすごい切れ味だ。そして時折りふっと見せる優しく美しい表情。弱音が本当に美しい。

これだけ見事に弾かれると、恐れ入りました、としゃっぽを脱ぐしかない。そう感じたのは私だけではなかったようだ。会場の大拍手はいつまでも鳴り止まず、キーシンはアンコールを弾いた。
(→プロコの曲なのですが、曲名がわかりません。どなたか会場にいらっしゃった方、ご存知でしたら教えてください。)

キーシンは「ピアノ一筋」なんだろうなぁ、と思う。(あくまでも印象であって、本当のところはどうかわからない) かつてロンドン交響楽団とベートーヴェンのP協奏曲4・5番を弾いたコンサートがあり、その時、リハーサルを見学させてもらった。キーシンは休憩時間中も、一人ステージに残ってずっとピアノを弾いており、その姿に「キーシン-ピアノ=何も残らない」のではないかと思ったものだ。こういう「ピアノの虫」的な部分が、技術は達者だけれど、枠の中に納まっていて今一つ物足りないことと繋がっていたのではないかとも思う。でも、今日の演奏には、なにか今までと違うものがあった。そろそろ脱皮し始めているのかもしれない。

アシュケナージの指揮は、毎度のことながら無骨でアジケナーイ。ポキポキしすぎているし、モノトーンだ。ただ、小細工に陥らず、大きな流れを捉えている点は素晴らしいと思う。彼の指揮を見る度に、指揮棒を左手に突き刺して途中降板した有名な話(その時のオケはN響)を思い出し、大丈夫かと冷や冷やする。今日は指揮棒が刺さることもなく、協奏曲ではキーシンのピアノに負けない緊張感のある伴奏をつけ、プロコの6番では弦楽器からこの曲の深みを十分に伝える悲痛な音色を引き出すことに成功していた。

余談だが、キーシンは、日本人がサインを頼むと、片仮名で「キーシン」と書いてくれる。キーツソになったりしないのは立派。
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by bibinga | 2008-01-24 23:55 |  

コンサート備忘録(アンジェラ・ヒューイット)

d0135403_1162154.jpg2008年1月20日(日) ロイヤル・フェスティヴァル・ホール

Piano) アンジェラ・ヒューイット

バッハ 平均律クラヴィーア曲集第1巻

(写真がブレていて申し訳ありません)



アンジェラ・ヒューイットは有名なピアニストであり、ここで紹介するまでもないだろう。

彼女の演奏は、日本に居た頃からCDでよく聴いており、好感を持っていた。ロンドンに来て、何度か生の演奏を聴くにつけ、ますます好きになっていった。

アンジェラのコンサートは人気があり、チケットを取るのは、かなり大変である。ウィグモアホールのリサイタルでは、会員向け先行発売で売り切れてしまうことがほとんど。3000席近いロイヤル・フェスティヴァル・ホールでも、良い席は発売開始とともにどんどん売れていく。今日のコンサートのチケットは昨年の4月1日に取ったものだ。

同行するはずだったAさんは他の予定が入って行けなくなり、リセールをかけたところ、ピアノの先生でもあるRママが引き取ってくださった。早めに取っただけあって絶好のポジションで聴くことができ、Rママにも喜んでいただけたと思う。

この演奏会、心が洗われる素晴らしい演奏会だった!

アンジェラのピアノは、尊大でも威圧的でもなく、歌と慈愛に溢れ、心地良く流れていく。しかし、その根底にある技術は恐ろしいほどの完成度を持っており、ゆるぎのない確信を感じさせる。

冒頭の有名なハ長調のアルペジョ、この出だしでいきなりハートを掴まれてしまった。ごく小さいピアニシモで奏されながら、全ての音は明瞭に聞こえ、しかしレガートで、優しく、聴き手の心に響いてくる。伸びやかで、広がりを持っている。こんなに優美で繊細な平均律は聴いたことがない。

アンジェラの弾くバッハは、かなり自由なバッハだ。テンポもダイナミクスも表情も、かなり変化をつけている。でも、その自由さには節度があり、バッハの様式感を損なうことは決してない。自然で大らかな伸びやかさがあり、品格がある。そして根底には常に暖かさがある。彼女のピアノは、聴き手を幸せな気持ちにさせる。

どこを取っても、本当に良く考え抜かれて、完璧にコントロールされている。プロフェッショナルの演奏である。右手と左手が完全な協調を保っている。巧みな声部の弾き分けと受渡し。信じ難いほどの完成度だ。

d0135403_1022555.jpg今日はFazioliのピアノを弾いていた。Fazioliは数年前にこのホールに入ったようで、2006年10月にニコライ・デミジェンコ(Nikolai Demidenko)がこれを弾いたのが、私の記憶にあるところでは一番古い(それより前からあったのかもしれないが、気に留めていなかった)。明るい音だが、キンキンするところが全くなく、音の調和が素晴らしいピアノである。職人技で作られており、年間数百台しか作られないという。

Fazioliを気に入っているピアニストは多いようで、関本昌平氏も好きだと言っていたし、ロンドンをベースに活躍しているWさんも「Fazioliを一度弾いてすっかりとりこになってしまった。音がハーモニーで響くんですよ。」と言っていた。今日の演奏の、最後の和音のえもいわれぬ美しい響きを聴くと、Fazioliがピアニストを惹き付けるのも頷ける。

アンジェラは、きっと、演奏だけではなく、人格的に素晴らしい人物なのだろう。人間力が演奏ににじみ出ている。今日はロイヤル・フェスティヴァル・ホールが満席だった。ピアノソロでここを満席にするのは凄いことだが、それだけでなく、聴衆の集中力がいつもと全く違っていた。通常、ここの客席はかなりがさつで、ノイズが大きいのだが、今日は、ホール全体がアンジェラのピアノに聴き入っていることが痛いほど感じられた。皆、アンジェラのピアノが好きで聴きに来ているのだ、という感じを強く受けた(前回のリサイタルでも同様の印象を受けた)。

誠実で、真剣で、暖か。歌心。本当に、この人の演奏は、好きにならずにはいられない。

アンジェラは派手さはないけれど、大勢の聴衆から心底愛され、その期待どおり素晴らしい演奏ができる、偉大なピアニストだ。「私のお気に入りピアニスト、ベスト5」を挙げるなら、ソコロフ、ツィメルマン、エマールと並んで、彼女の座は堅い。

RFHを満員にするピアニストは彼女だけではなく、ポリーニも、ランランも、そのくらいの人気を持っているが、会場に詰めかける聴衆の質が、アンジェラの場合は少し違っているように思える。皆、彼女の演奏が好きでたまらない、そういうファンで会場が埋まっているようだ。ソコロフも圧倒的な人気を持っているが、彼の場合は支持層がもっとマニアックで、通受けする。ポリーニは名声で、ランランはミーハー層の支持があって人が集まる。アンジェラは、老若男女問わず、本当に彼女の演奏が大好きな人で会場が埋まるピアニスト、という印象である。

こういうピアニストは他にはあまり知らない。強いて言えば、マリア・ジョアン・ピリスか。いやいや、アンジェラの圧倒的な人気には到底かなうまい(あくまでも、英国においての人気度であるが)。

ひょっとすると将来、アンジェラのようなピアニストになるかもしれない、と思うピアニストが一人いる。アンジェラは人気先行ではなく、裏づけとなる高い技術と音楽性を持っている。このピアニストは、現段階ではそのレベルに到底及ばないが、ポテンシャルはある。今後、どれだけ技術に磨きをかけられるか、そこにかかっている。
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by bibinga | 2008-01-20 23:30 |  

コンサート備忘録(新進気鋭のフルート奏者)

d0135403_12541655.jpg2008年1月19日(土) セント・ローレンス教会 St Lawrence Church, Eastcote, London

Flute) ズュージャ・ヴァモシ=ナジ Zsuzsa Vamosi-Nagy
Piano) 川上敦子 Atsuko Kawakami

C.P.E バッハ ソナタ ニ長調
モーツァルト  アダージョとロンド(コシ・ファン・トゥッテから)
シューベルト  「美しき水車小屋の娘」から3つの歌
タファネル    トマの歌劇「フランチェスカ・ダ・リミニ」による幻想曲
ヘンデル    ソナタ ホ短調
ハーン     モーツァルトの主題による変奏曲
プーランク   ソナタ

ロンドンの劣悪な地下鉄運行ではよくあることだが、途中駅で30分も待たされ、会場に駆け込んだのはまさに演奏が始まらんとする瞬間だった。滑り込みセーフ、と安堵しながら最後列の椅子に腰を下ろすと同時に、CPEバッハが始まった。

いつも思うことだが、器楽のリサイタルにおいて、曲目の構成はとても重要である。自分が演奏したい曲をただ並べるだけでは、演奏会としてまとまらない。全体の流れ、調和というものが必要である。同時に、ある程度の変化も無ければならない。オープニングに相応しい曲、メインになる曲、その間をつなぐ曲を、長さ・曲想・調性・難易度など、いろいろな要素を考えてバランスよく配置することが大切だ。

今日のリサイタルのプログラムは、とても良く練られていたと思う。CPEバッハのソナタは、幕開けの曲として完璧な選曲であった。教会の雰囲気や響きにぴたりと合い、聴衆の気持ちを朗らかにする。最初のフレーズを聴いた瞬間、「ああ、いい音楽だ、今日、来て良かった」と思った。

ズュージャは、ハンガリー出身で、現在は、英国王立音楽院の大学院にて大御所ウィリアム・ベネットに師事して研鑽を積んでいる。王立音楽院では学費全額免除の特待生、一昨年にはルーマニアの国際コンクールで優勝するなど、腕は確かである(メジャーなコンクールではないと謙遜していたが)。

ズュージャの音色や音楽的なセンスの素晴らしさは、レッスンをつけてもらっているのでよくわかっているが、ステージに立つとさらにパワーアップするから凄い。本番で力を発揮できるのは、一流の演奏家になるための重要な資質の一つであろう。

とにかく低音・中音がものすごく鳴る。牛のように太い鳴りである。あの華奢な体のどこにそんなパワーがあるのかと、驚くばかりだ。大きな音が出せるから、小さな音が生きてくる。表情に変化がつけられる。そして、高音は透明感があって、暖かみを保った美しい音。

全体に重心がきっちりすわっており、音の最初から最後まで息の圧力が持続しているから、音が散漫になることが無い。骨太の芯がびしっと通って、音楽が前に前にと進んでいく。

どの曲もおしなべて見事だったが、一番良かったのは、前半の最後に吹いたタファネルの「リミニ」幻想曲である。超絶技巧の難曲であるが、確信に満ちていた。

曲として興味深かったのは、シューベルト。プログラムに「美しき水車小屋の娘」から、と書いてあるのを見て、ははーん、と思ったが、やはり予想どおり。シューベルトのフルート曲と言えば、「しぼめる花の主題による序奏と変奏曲」という曲が有名なのだが、それではなく、元となった歌曲「しぼめる花」の方をフルートにアレンジして吹いたのである。(「しぼめる花」は、歌曲「美しき水車小屋の娘」の第18曲) 

プーランクのソナタは、数ある古今のフルート曲の中でも非常に重要な曲と言われ、演奏会でしばしば取り上げられる。譜づらは一見それほど難しくなさそうに見えるのに、実際に吹くとなかなか曲にならない。音楽的に内容が濃く、演奏者に対して厳しい要求をつきつけてくる手強い曲だ。ズュージャにして、この曲ではいくつかミスがあったり、コントロールが甘くなった箇所もあった。それほど難しい。しかし、この曲特有の感情の変化を深いレベルで描き分けていたのは、真に素晴らしかったと思う。音の処理や解釈にも新鮮なアプローチが多々あり、非常に勉強になった。師匠、さすがである!

ピアニストは川上さんという日本人で、プログラムの紹介文によると、1989年に毎コンのジュニア部門で1位。東京音大を経て、英国王立音楽院の大学院卒。教会のピアノ(REID-SOHN)がコンサートグランドではなく小型だったせいもあるのか、若干控えめな演奏だったような気もするが、音がぶつ切りにならず、エネルギーが持続しながら面として聴こえてきて、これが音楽のしっかりした構成感につながっていた。音が均質で粒立ちが良い。押さずに、上手に響かせていたように思う。

特筆すべきは、アンサンブルとしての2人の息の合い方。テンポといい、バランスといい、申し分ない。2人とも、とても良い耳を持っているに違いない。

休憩入れて1時間半くらいだっただろうか。かなりたっぷり聴いたが、もっと聴きたいという気持ちだった。アンコール無しだったのが残念・・・。終演後は、楽屋でズュージャと立ち話。そういえば去年の4月末にレッスンしてもらったのが最後で、8ヶ月以上も空いている。近いうちにまた見てもらう約束をして、会場を後にした。家に着いたら、もうズュージ(10時)を回っていた。
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by bibinga | 2008-01-19 23:26 |  

オペラ備忘録(英国ロイヤルオペラ、ネトレプコの椿姫)

d0135403_851364.jpg2008年1月14日(月) ロイヤル・オペラ・ハウス
ヴェルディ 「ラ・トラヴィアータ(椿姫)」

マウリツィオ・ベニーニ指揮
リチャード・エア(オリジナル)、パトリック・ヤング(リバイバル)演出

英国ロイヤルオペラ
ヴィオレッタ:アンナ・ネトレプコ
アルフレード:ヨナス・カウフマン
ジョルジョ・ジェルモン:ドミトリ・ホロストフスキー


これだけ素晴らしいものを聴いてしまうと、言葉が無い。

ネトレプコが当代きっての人気歌手であることはわかっている。それが評判倒れではないことも、過去に何度か聴いて知っている。だから、当然、期待はしていた。

しかし、まさかこれほどとは! 大きなサプライズであった。 心底魅了されてしまった。

ラ・トラヴィアータは、とにかくヴィオレッタが歌い続けるオペラだ。1幕でいきなりクライマックスとも言えるコロラトゥーラのアリアがあり、その後もリリックに、ドラマティックに、パセティックに、延々と歌い続ける。これをネトレプコで聴けるというのは、最高の幸せである。

彼女の声には、密度がある。稠密で、レーザービームのようにくっきり浮かび上がって、ビシっと届いてくる。フレーズの息が長い。フォルティシモでは圧倒的な声量が出るが、ソットヴォーチェで歌う繊細な表現も実にうまい。表情がある。吸い込まれてしまう魅力がある。

声は、かなり硬く金属質だと思う。強くて硬いけれど、決してキンキンする嫌味な声ではない。オペラハウスで聴いたら、とても美しく聞こえる声だ。倍音がきれいに揃っているのかもしれない。

息遣いが非常に柔軟。立ち居振る舞いも歌も、全てが魅力的である。ぐわしっと、心を掴まれてしまう。惚れてしまう。

深みがもう一つ? ヴィオレッタにしては強すぎるし、直線的? 確かにそういう面はあるだろう。でも、どうでもいいじゃないか、そんなこと。彼女はまだ若い。歌うのが、そして自分を表現するのが楽しくてしかたがない、そういう生のままの彼女でいいのだ。今のオペラ界に、彼女ほどオペラの楽しさを味わわせてくれる歌手はいまい。年輪を重ねるに連れて、芸風は自然に変わってくるだろう。今は、「今の彼女の」持ち味を、素直に受け止めて楽しめば良いのである。

ヨナス・カウフマンも良かった。1幕は硬直的で声が伸びず本調子ではなかったように思うが、2幕は素晴らしかった。彼は声量を出そうとすると硬くなるようだが、mf~fで歌っているときは実に良い。しなやかで、表情がある。役柄をきっちり捕まえていて、安定しており、とても良かった。

ホロストフキーは良く声が出ていたし、伸びていたが、惜しむらくは、声を押しがちで、直線的で平板。もう少し柔軟性が欲しい。

オケは細かいところがかなり雑だったが、初日でまだ探り合うところがあったのだろう。ベニーニの指揮ぶりは、この曲を完全に掌中に収めており、ところどころでオケはすごく良い音を出していた。これから回を重ねるごとに良くなるに違いない。

今日のオペラのキーワードは「ネトレプコ」。ネトレプコは高い期待をさらに上回る素晴らしい歌唱で聴衆を魅了した。でも、彼女だけでなく、カウフマンもホロストフスキーも立派だった。今日のラ・トラヴィアータは、日本から飛行機に乗ってでも、聴きに来る価値があっただろう。文句なしに★★★(3つが最高)。年が開けてから2度目のオペラであるが、新年早々、このような素晴らしい舞台を堪能できて、幸せである。23日にもう一度、観に行く。
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by bibinga | 2008-01-14 23:33 |  

今日の3本(フェヴレのクロ・ド・ベーズ他)

d0135403_9304185.jpgChampagne Verzenay-Grand Cru Cuvee Reserve NV, Jean Lallement et Fils
Pommard 1er Les Fremiers 1999, Lucien Boillot et Fils
Chambertin Clos de Beze 2001, J.Faiveley


金・土・日と3夜連続の飲み会の締めは、真打ち登場、フェヴレのクロ・ド・ベーズである。今日の飲み会は、これを飲むために開いた、というのが正しい。昨日の日記で紹介したが、このクロ・ド・ベーズは昨年11月にブルゴーニュで買ってきたもの。その時の同行者A夫妻と、近々これを飲みましょうと約束していたのである。

連夜の飲み疲れで、料理をする気力が湧かない。しかし、クロ・ド・ベーズさまに失礼の無いように、何らか形をつけねば。一瞬、鴨にしようか、という邪な考えが頭をよぎる。鴨のローストは先週来2回作っており、これなら失敗しないし、簡単だ。 「苦しい時のかも頼み」である。しかし、9日で3回はあまりにも安易であり、鴨界の恨みを買うかもしれない。違うものにしよう・・・。

よし、ジビエだ、と意を決し、近所の肉屋に走る。ショーウィンドーはいつもながら、見事な品揃えである。その中で、やまうずらと雉に目を引かれる。どちらも旨そうだが、雉の肉質が非常に良さそうに見える。雉に決める。多いよな、と思いつつ、オスメス(だと思う)の2羽買ってしまう。(男が食材を買うと、大体、大目に買ってしまう。皆さん、そうじゃないですか?)

d0135403_9465177.jpg八百屋でローズマリー、タイム、ジロール茸を買う。ハーブは雉をローストする時に一緒にオーブンに入れ、ジロールはソテーしてつけ合わせにする。ついでに、エスカルゴを12個買う。


d0135403_9493278.jpgこの八百屋はフランス人が経営しており、野菜・果物の他、魚、ポアラーヌのパン、テリーヌや生ハム、エスカルゴ、ワインなどいろいろ売っている(八百屋じゃなくて、デリっていうのか?)。フランスから輸入している食材が多いようで、買い物客にもフランス人が目立つ。(ご当地ネタで恐縮だが、フランス人にとっての「あたりや」的存在、といえばロンドン在住者にはわかりやすいだろう)

エスカルゴはにんにくパセリバターを詰めてあるので、オーブントースターで3分ほど焼くだけ。手軽で美味しく、値段も安い。溶けたにんにくパセリバターをバゲットにつけて食べると、これまた幸福なのである。(ああ、メタボ街道まっしぐら)

d0135403_9563258.jpgさて、準備も整い、いよいよ始まりである。まずシャンパーニュで乾杯。

Verzenay Grand Cru Cuvee Reserve, Jean Lallement
ジャン・ラルマンは、ヴェルズネイ村のレコルタン・マニピュラン(小規模の家族経営のシャンパーニュ生産者)。ヴェルズネイ村はアンボネイ村と並んで、上質のピノ・ノワールが出来る土地と言われている。今回初めて飲むが、近所の行きつけの酒屋の推薦銘柄であり、かなり期待して栓を抜く。

う、う、うまい! 蜜の乗ったリンゴの味。酸と甘みのバランスがとても良い。ボディがしっかりしている。我が家の定番シャンパーニュに指定することにした。今度ぜひ、シャンパンフェチのAさんに飲ませなくては。

食べ物は、シャンパーニュ風パテ(にんにく、ハーブが利いたパテ)・野鳥のパテ、A氏がサウケン駅前に出来たチーズ屋で買ってきてくださったラミ・デュ・シャンベルタン、オールド・ミモレット、コンテ。それにエスカルゴ。ラミ・デュ・シャンベルタンが激烈に旨い。ウォッシュは一歩間違うとひどく臭いが、これは非常に状態が良く、鼻につく臭さが全くない。脳天までとろけそうな官能の味わいにひたる。

d0135403_10113413.jpgシャンパーニュはあっという間に空き、赤に移る。

Pommard Les Fremiers '99, Lucien Boillot
この日記ではポマールの登場頻度がやたら高いが、これは偶然。今日のポマールは、村の南側、ヴォルネイ村との境にある1級畑フルミエである。確かに、ヴォルネイに近い個性がある。ヴォルネイは、少し酸が立ち、主観的に言えば、紫が混じり、くすんだ印象を受ける。ヴォーヌ・ロマネやポマールがブランディだとすれば、ヴォルネイはポート、、、うーん、これはちと言い過ぎか。

このフルミエ、とても良い。99は一般的にはまだちょっと早いが、でも、もう飲める。グラスを口に近づけると、むんむんに香りが立って、もう、むふふである。なまめかしい。ここまで感覚中枢にびりびり訴えられると、思考が麻痺し、分析的に記述する意欲が失われる。あいー。むふふ。うひひ。とにかく、よろしい。

ふと横を見ると、A氏もにたにたしている。かなり怪しいおやじである。A氏夫人が冷ややかな視線で夫を観察しているのが、ちょっと怖い。(あ、うそうそ、面白おかしく書いてるだけです。A氏夫人、読んでも怒らないで・・・)

d0135403_10243890.jpgいよいよクライマックス、クロ・ド・ベーズの登場である。

Chambertin Clos de Beze '01, Faiveley

途中で様子を見たところ、堅くて開いていなかったので、デキャンタしておいた。デキャンタからロブマイヤーのグラスに注ぐ。

暗い。深い。静か。 まだ沈黙している。


d0135403_11135461.jpgワインが開くのを待つ間に、雉を出す。こんがり焼けている。あはは、おいしいね。

そうこうしているうちに、クロ・ド・ベーズがだんたん開いてくる。キターッ!
第1波が来た後、その下から、第2波、第3波と底から香りがせり上がってくる。凄い。

たぶん、このワインのピークはまだまだ先だ。きっと10年はかかるだろう。今日の段階では、圧倒的な偉大さという感じはない。

でも、これを飲んだら、ポマール・フルミエには戻れない、そういう凄みがある。このワインを飲むと、いろいろなことを考えてしまう。例えば、自分の将来のこと、老いた親のこと、昔の思い出。ワインとは全く関係の無いことが、頭に浮かんでくる。A氏夫妻が目の前にいても、ぐるぐるといろいろな考えが頭の中を巡る。ワインに引き倒されているようだ。

そして、ふと気付くと、この深い味わいの前に、涙がにじんでいる。この時点では、もう、頭の中は空白である。

贅沢な一夜であった。

d0135403_10454148.jpgなお、雉くんは、骨だけになった後、気の毒にも鍋に入れられ、スープを取られている。このスープをどう使うかは、明日以降考えよう。(ラーメンが有力だなぁ。)
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by bibinga | 2008-01-13 22:29 |  

今日の1本(ブルトン)

d0135403_10183133.jpg
ワインと見紛う750mlのボトルに入っているが、これ、実はビールなのである!

Brutonはイタリア・トスカーナ地方のルッカ郊外にある小さなブルワリー。その名前は、古代クレタでビールをBrutonと呼んでいたことにちなんでいるようだ(同社Websiteより)。

Bruton(5.5%)、Lilith(5.5%)、Stoner(7.5%)、Momus(7.5%)、Dieci(10.0%)の5種類あり、興味を惹かれて全種類買ってしまった。(近所の行き付けの酒屋がイタリアから仕入れてきたもの)

これまでに、Bruton、Lilith、Stonerを飲んでみたが、いずれも旨い!
無濾過・瓶内再発酵のため、濁りがあり、わずかにねっとりとしている。

Brutonは一番ライトで、色は黄色。ベルギービールのようにフルーティ。ある日、ワインをしこたま飲んだ後に、口直しにこれを飲みたくなって開けたら、いいかげん酔っ払っているのに、すいすいするっと1瓶飲み干してしまった。危ない危ない。良い子は、こういう体に良くないことは止めよう。

上の写真はLilithという5.5%のビター。カラメル的な苦みと甘みに、干し葡萄も感じられる。アルコール度数は高くないが、味は凝縮されており、飲み応えがある。

Stonerは、BrutonとLilithの中間。色はブラウンだが、苦味はそれほど強くない。うわっ、これ、うまーい! たった今、ロンドンのNew Yearの花火中継をTVで見ながら(つまり、ロンドン版「ゆく年来る年」である)、あっという間に一瓶飲み干してしまった。

ちなみに、私は、ビールは小ぶりのワイングラスで飲むのが好きである。ビールもワインも、グラスのふち(口に当たる部分)が薄い方が、美味しく感じる。ビールによく使うのは、リーデルのヴィノム・シャルドネ。バカラのオノロジー・ブルゴーニュもたまに使う。リーデルはビール用のグラスも作っているが、シャルドネの兼用で十分と思う。(写真のグラスは、ヴィノム・シャルドネ)
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by bibinga | 2008-01-01 10:33 |