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コンサート備忘録(ゲルギエフ指揮ウィーン・フィル)

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2008年2月22日(金) バービカン・センター

ヴァレリー・ゲルギエフ指揮
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

ベルリオーズ 「ロメオとジュリエット」抜粋
ワーグナー  「トリスタンとイゾルデ」前奏曲
         と愛の死
ドビュッシー  「海」


ウィーンフィルのフランス物、という不思議なものを聞いてしまった。

ベルリオーズもドビュッシーも、フランス物特有の「香り」や「空間的な拡がり」は感じられず、もっとずっしりとした演奏だった。ザッハトルテやナッツの焼き菓子のように中身がぎっしりつまった重たいケーキのようである。ベルリオーズの演奏は、どことなくブラームスの響きを持っていたし、ドビュッシーは、海は海でも「海の底」、ムソルグスキーのようだった。

ワーグナーの演奏には、さすがに「らしさ」があり、特に前奏曲が素晴らしかった。ただ、愛の死はテンポが速めで、さくさくと進み、あっさり終わってしまった。(これはゲルギエフの問題であろう)

ウィーンフィルというのは、面白いオケだ。世間では、ベルリンフィルと双璧、と評されるが、技術力で見たら、他にも上手いオケはたくさんある。

しかし、このオケは「ウィーンフィルにしかできない凄いこと」をやってのける力を持っている。

ツボにはまると、底なしに巨大なエネルギーを出せる。表面的な波ではなく、大きくうねる海のように、圧倒的なボリューム感を持った音を出せる。ものすごく深いところからエネルギーがこんこんと湧き上がってきて、無限にエネルギーを増大させ得る感じ。今日は、トリスタンの前奏曲で、一瞬、こういう場面があった。

また、全員の呼吸が完璧に合い、信じ難いほどの鋭い切れ味で音楽を抉り出す力もある。音を合わせに行くのではなく、一人ひとりの奏者が自律的に弾ききって、その結果がどんぴしゃりと合っているということだろうか。こういう時、聴いていて思わず息が止まるほどの緊張感が演奏に生まれている。ロメオとジュリエットの終曲に、これが見られた。

ウィーンフィルのこうした力は、「気」のようなものではないか、と思えてならない。「気」によって個々のプレイヤーのエネルギーが統合され、「場のエネルギー」となって放射されているのではないかと思うのだ。こういう「気」を感じるオケは、ウィーンフィルの他にはちょっと思い当たらない。

ウィーンフィルは、いつもいつも凄い演奏をするとは限らない。骨太の音を出すちょっと上手なオケ、程度の印象の時もある。しかし、運良く「気」の入った演奏に当たった時、彼らの演奏は、特別な力を持って迫ってくる。

今日の演奏は、オケの個性と曲がミスマッチだった感は否めず、全般的にはあまりぱっとしなかったが、ところどころで「キラリと光る」ウィーンフィルを見せてくれた。ウィーンフィルの「海」を聴けるチャンスはそれほど多くないかも知れず、貴重な経験として肯定的に捉えよう。
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by bibinga | 2008-02-22 23:12 |  

オペラ備忘録(英国ロイヤルオペラ、サロメ)

d0135403_8125232.jpg2008年2月21日(木) 英国ロイヤル・オペラ

リヒャルト・シュトラウス 「サロメ」 (新演出)

指揮:フィリップ・ジョルダン (Philippe Jordan)
演出:デイヴィド・マクヴィカー (David McVicar)

サロメ:ナージャ・ミヒャエル (Nadja Michael)
ヨハナーン:ミヒャエル・ヴォレ(Michael Volle)
ヘロデ:ロビン・レガット (Robin Leggate)
ヘロディアス:ミヒャエラ・シュスター (Michaela Schuster)
ナラボート:ヨーゼフ・カイザー (Joseph Kaiser)


強烈な舞台だった。オペラ自体が陰惨でショッキングなストーリーであるところに、緊張感に満ちた隙の無い演出、歌手の放射するエネルギー、R.シュトラウスの音楽の妖気、これらが相俟って、そのあまりの強いインパクトに、眩暈がするようだった。

タイトルロールを歌ったナージャ・ミヒャエルの存在感がとにかく凄い。この役をこなすのは相当難しいと思うが、ナージャはオーケストラの大音量に負けない張りのある声を持ち、そして声の質を場面によって大きく変化させ、甘い声から憤怒まで、非常に幅の広い表現を見せた。もともとメゾだったからか、華やかというよりは暗めの声だが、密度のある良い声だと思う。

仕草や顔の表情がまた素晴らしい。目の輝きが並大抵ではない。ヨハナーンに魅かれていく表情には、少女のあどけなさ、王女としての品格、そして狂気が同時に表現されており、この複雑な性格を、よくもここまで見事に演じたものだと感心した。また、ヘロデにダンスを請われる前、サロメが床に座ったまま動かない場面があったが、そのじっと座っているだけの姿が、演技になっている!

他の歌手もそれぞれに見事だった。ヨーゼフ・カイザー(ナラボート)は明瞭で伸びがあり、ミヒャエラ・シュスター(ヘロディアス)はなめらかで艶のある声。ロビン・レガット(ヘロデ)はやや軽かったが、サロメの無理な要求にうろたえる心理をよく表現していた。ヘロデにしては悪さが少し足りなかったか。特に良かったのはヨハナーンを歌ったミヒャエル・ヴォレ。芯の太い立派な声だ。もう少し感情の起伏を殺して歌う方がヨハナーンのイメージに合うような気もするが、ナージャとがっぷり四つの存在感は見応え・聴き応えがあった。

指揮のジョルダンは絶好調。4管編成の大オーケストラも気合いの入った鳴りっぷりであった。オケピットの真ん前で聞いたこともあって、音の洪水に圧倒された。Rシュトラウスはただものではない、と思い知らされる。

演出は好き嫌いが分かれるかもしれないが、私は気に入った。舞台を上下に使い、上階ではタキシード姿のヘロデ、イブニングドレス姿のヘロディアスが頽廃した享楽にふけっている。一方、無機質な下階には軍人が詰めている。コントラストがはっきりしていて、凝縮感のある舞台だ。
人物の配置や動きが良い。上下階を結ぶ階段を使った縦の動きが変化を生んで効果的である。

7つのヴェールの踊りの演出も斬新だった。ここでサロメが見せたのは、ヘロデを魅了する官能的な踊りではない。獲物を狩るような昂揚または狂気の踊りだ。(※ 後に目にした解説によると、背景に映した影絵で、ヘロデがサロメを無理矢理蹂躙したことを表した由。気づかなかった、うーむ不覚。)

この新演出は成功だと思う。ただ、これは「打ちのめされる」舞台であって、リバイバルで何度も見たくなるような演出ではないような気がする。(オペラ自体の陰惨さのせいかもしれないが・・・)。また、ナージャやヴォレの存在感があったからこそ、この演出の素晴らしさが活きたようにも思う。

もう日本にお帰りになった方だが、私が敬服する某オペラ愛好家は、バーバラ・フリットリとナージャ・ミヒャエルを特に気に入っていて、ナージャを追いかけて、しょっちゅうロンドンから大陸に飛んでいた。今日のサロメを聴いて、なるほど惚れるわけだ、と納得が行った。彼がこのサロメを見たら、何とコメントするだろうか、ちょっと気になるところではある。

サロメは3月6日にもう一度見るが、3月に帰国する私にとって、それがロンドンでのオペラの見納めになる。最後のオペラがこのような素晴らしいものになって嬉しい。帰国後、10月にウィーン国立歌劇場の日本公演があり、dognorahさん絶賛のムーティ指揮、バーバラ・フリットリ&キルヒシュラーガーの「コシ・ファン・トゥッテ」が上演されるので是が非でも行きたいところだが、6万5千円という値段に気持ちが萎える。一向につながらない電話予約に立ち向かう気力も湧きそうにない。

この4年間、大好きな音楽を存分に楽しむことができた。が、夢は終わった。日本に帰ったら、もうオペラに行くことも、コンサートに行くことも、楽器を吹くことも、できなくなるだろう。環境がまるで違うのだ。職場と家を往復するだけの無味乾燥な毎日を想像して、どんよりと気分が重たくなってしまった。
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by bibinga | 2008-02-21 23:11 |  

今日の1本(クロアット)

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2008年2月18日(月)
Croatto Merlot 2005 (friuli-venezia-giulia, Italy)


恐れ入りました。素晴らしいです、このワイン。

今日は、会社の同僚2人が送別会やりましょう、と言ってくれて、かねて気になっていたPutneyにある某イタリアンレストランに繰り出した。このレストランの存在を知ったのは、行き付けのワインショップが、ここでテースティング・ディナーを時々開催しており、その案内をもらっていたからである。直感的に「良い店に違いない」と思ったものの、足を運ぶには至っていなかった。帰国が迫って、慌てて訪れた次第である。

この店、食事は最高とは言えないまでも、まずまず。モダン・ブリティッシュとイタリアンの中間のような料理を出す。私は前菜にタコのタコ墨和え、メインに鴨を頼んだ。イカ墨はよくあるが、タコ墨はあまりお目にかからない。タコの味はほとんどしなかったが、噛んでいると口中に墨の味わいが広がり、ベラヴィスタのスパークリングと、なかなか良い相性だ。鴨は大振りの塊りの状態で供され、外側がパリっと焼かれて中がジューシー。肉質そのものの良さを感じる。大満足。同僚が頼んだ中では、カニのスパゲッティーニとサーロインの炭火焼きが大当たり。

しかし、料理もさることながら、この店の素晴らしさはワインのラインアップにある。ワインリストをくっていたら、イタリアきってのカルトワイン、ミアーニのメルロとカルヴァリを発見! 注文しようかどうしようか、10分も迷ったが、さすがに180ポンド(メルロ)、230ポンド(カルヴァリ)という値段に腰が引けた。ただ、小売で買っても100ポンド以下では買えないだろうから、レストランの値段としては決して高くはないと思う。財力のある方は、ぜひトライされたらいいだろう。

結局、注文したのは、CROATTO。このワイン、ミアーニのエンツォ・ポントーニ氏が栽培から生産まで手がけているのだ。値段はミアーニの5分の1。こういうワイン飲みの心をくすぐるワインをリストにさりげなく載せているのだから大したものだ。

店は手際よく抜栓し、デキャンタしてくれる。グラスにワインが注がれた瞬間、うわっと香りが立ち上ってくる。すごい。奥から奥から、いくらでも香りが湧いてくる。口に含む。こゆい。上品な甘み。引き締まっていながら丸みのある酸。全体のバランスがとてもいい。残香が長い!いつまでも鼻腔に香りが残っている。一口めから、感心しっぱなしである。あまりの美味しさにするすると進み、あっと言う間に飲み切った。

日本では、1本3500円くらいで少量売られ、瞬間蒸発したらしい。確かにこのワインが3500円は破格の安さだ。ボルドーのスーパーセカンドに匹敵する質の高さと言っても過言ではなかろう。運よく見つけたら、あるだけ買い占めることをお勧めする。

この店のメニューには、それぞれ料理ごとに、お薦めのワインが示されている。それらのワインはグラスでも注文できる仕組みになっている。とっても美味しいベラヴィスタのキュヴェ・ブリュットだって、グラスで頼める。店員のサービスも気持ちがいい。うーむ、居心地の良い店だ。勘定はちょっぴり高かったが、このクオリティなら、まあ、よしとしよう。
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by bibinga | 2008-02-18 23:32 |  

オペラ備忘録(英国ロイヤルオペラ、魔笛)

ロイヤル・オペラ・ハウス
モーツァルト 「魔笛」
指揮:ロランド・ベール(Roland Böer)
演出:オリジナル/デイヴィド・マクヴィカー(David McVicar)
    リバイバル/リー・ブレイクリー(Lee Blakeley)


d0135403_8342374.jpg2008年1月31日(木) 
タミーノ:クリストフ・シュトレール(Christoph Strehl)
パパゲーノ:サイモン・キーンリーサイド(Simon Keenlyside)
夜の女王:エリカ・ミクローザ(Erika Miklósa)
パミーナ:ゲニア・キューマイアー(Genia Kühmeier)
弁者:トマス・アレン(Thomas Allen)
ザラストロ:スティーヴン・ミリング(Stephen Milling)
パパゲーナ:Kishani Jayasinghe


d0135403_8344979.jpg2008年2月7日(木) 
タミーノ:パヴォル・ブレスリク(Pavol Breslik)
パパゲーノ:クリストファー・モルトマン(Christopher Maltman)
夜の女王:アンナ=クリスティーナ・カポーラ(Anna-Kristiina Kaappola)
パミーナ:ケイト・ロイヤル(kate Royal)
弁者:ロバート・ロイド(Robert Lloyd)
ザラストロ:ハンス=ペーター・ケーニッヒ(Hans-Peter Konig)
パパゲーナ:Kishani Jayasinghe


魔笛の公演をAキャスト、Bキャストで観た。これまでも同じ演目を異なるキャストで見比べたことは何度かあるが、今回の魔笛ほどキャストによる違いがはっきりでたのは珍しい。

歌そのものの力量は、明らかにAキャストが上であった。特にキーンリーサイド(パパゲーノ)、キューマイヤー(パミーナ)が素晴らしく、ミクローザ(夜の女王)がハイFをいともたやすく出したのには舌を巻いた。Aキャスト公演は、テンポが小気味良く、歌手の声の質も軽く、非常に軽快なモーツァルトであった。こういうのは個人的には嫌いではない。

ミクローザ(夜の女王)の声はとてもきれいで、完璧なコロラトゥーラを聴かせてくれたが、情念はあまり感じられなかった。娘を攫われた母の悲しみが伝わってこず、ザラストロとの敵対関係だけが強調されていたように感じた。トマス・アレン(弁者)、スティーヴン・ミリング(ザラストロ)とも、これらの役にしては声が明るく、音域も高い。トマス・アレンは一番低い音が出ていなかった。

シュトレール(タミーノ)、キューマイヤー(パミーナ)は両者とも素直な声が良く伸びて、軽快で明るめの全体の雰囲気に良くマッチしていた。キーンリーサイド(パパゲーノ)はコミカルな演技力で観衆を魅了。そのあまりの声の良さが、逆にパパゲーノのキャラクターにはミスマッチとも思えるほどであった。Kishani Jayasinghe(パパゲーナ)は声量はそれほど大きくないが、声の質が美しく良く通る声で非常に好感を持った。


一方、Bキャストは、Aキャストが軽快で乗りのよい歌手が揃っていたのとは対照的に、ややごつごつして不器用な歌手たちだった。特にモルトマンやケイト・ロイヤルは、さくさくと歌うよりも、じっくり歌う方が持ち味が活きるような気がする。実際、Bキャストでは、歌手が指揮者の早いテンポに抵抗し、少しずつ引っ張って歌っていた。1幕は今一つ調子の上がらない歌手が多かったが、2幕は皆乗ってきて、演技にも熱がこもり、見ごたえのある仕上がりだった。

特筆すべきは、ハンス=ペーター・ケーニッヒ(ザラストロ)。Aキャストのミリングはザラストロにしては明るすぎたが、ケーニッヒは「これぞザラさま」という堂々たる声を聴かせてくれた。これにはちょっと痺れた。これがBキャストのピカイチ。あとは、Aキャスト比では3人の童子が良かった。(Aキャストの童子はかなりいただけなかった)

声が美しく軽快なAキャスト、情感あふれる歌唱と演技で見ごたえのあったBキャスト、この違いを面白く観た。演出は思わせぶりなところがなく、宗教色も薄くてさっぱりしていた。パパゲーノに存在感があった。

魔笛は、自分自身、オーケストラの一員として上演に参加したことがあり、思い入れの深いオペラである。何よりも音楽が本当に美しい。歌自体はさほど高度な技術の無い歌手でも歌えるからなのか、あるいは派手なアリアが少ないからなのか、キャストに恵まれない公演が多いような気がするが、今回のロイヤルオペラは、A・Bとも歌手陣が充実していたと思う。やはり美しい音楽を良い歌手で聴けるに越したことは無い。

シュトゥットガルトで観たコンヴィチュニー演出、チューリヒで観たクシェイ演出に比べると、ごくごくオーソドックスな魔笛であったが、歌手の良さもあり、A・Bとも満足できた公演であった。

※ Aキャストについて、dognorahさんが充実した記事をお書きになっていらっしゃいますので、ご覧ください。(観た公演日は違いますが、私もdognorahさんのAキャスト評にほぼ同感です)
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by bibinga | 2008-02-14 23:59 |  

コンサート備忘録(エマール / メシアン 幼子イエスに注ぐ20のまなざし)

d0135403_93734.jpg2月13日(水) クイーン・エリザベス・ホール

(P)ピエール=ロラン・エマール
メシアン「幼子イエスに注ぐ20のまなざし」


                     
                総立ちの会場→




凄かった。 これは音楽の演奏というものを超越した何かだ。 人生における「体験」とでも言うべきものだ。

何がどのように凄かったのか、その内容を書かねばその凄さは伝えられない。しかし、それを表現できる言葉を私は持っていないし、表現したいという気持ちにすらならない。幸運にも会場に居合わせることのできた人は、この演奏を言葉に置き換えることの虚しさを、きっとわかってくれるだろう。

音楽にできること、ピアノに表現できることの、全てがそこにあった。

今日の演奏が楽しかったか、と言われると複雑である。楽しむという、そういう軽いものでは無い。魂が揺さぶられ、心の奥深くが稲妻に打たれて焼け焦げたような、根源的な衝撃である。演奏とは「音楽の喜びを共有すること」だと思っていたが、エマールのピアノは全く違う次元での演奏の在り方を見せてくれた。

メシアンのこの曲は、古今東西の星の数ほどあるピアノ曲の中にあって、燦然と輝く究極の作品の一つだと思う。第1曲、和音の連続というシンプルな構成がなんと多くのイメージを聴き手に想起させるのだろう。時間、空間の概念が消え去り、ただ「祈り」だけが存在しているようだ。第6曲、飽和的な内容の濃さ。第10曲、理性の壁が崩れ、脳内に快楽ホルモンが溢れ出る。第15曲のやすらぎ、そして第20曲では聴き手の魂は宇宙に連れ出され、地球に衝突する流れ星を見下ろしながら、神の声を聞く。ミシェル・ベロフも言っていたが、この曲を全曲通して聴くと、人間が変わる。「浄化」と言えばよいだろうか。

この曲の全曲演奏は、今までに生で4回(ベロフ、児玉桃、木村かをり、オズボーン)聴いており、今回で5回目である。過去の演奏では、ベロフと児玉桃の演奏に強烈な感銘を受けたが、今日のエマールの演奏は、それらをもはるかに凌ぐ、畏怖を覚えるほどの演奏だった。普通のピアニストにとってはこの大曲を弾き通すだけで、大きなチャレンジだろう。しかし、エマールは、この難曲に負けずに主体的に音楽を構築できるだけの極めて優れた技術を有していた。この曲がこれほど美しく音楽的に弾けるものだとは思っていなかった。千変万化の音色、彼の音のパレットは驚異的だ。そして信じ難いほどのパワーと集中力。渾身のエネルギーを込めて最大限の音楽の力を引き出していた。それは力んでいるとか、熱くなっている、ということとは全く違う、「真に強い力」である。

自分がもしピアニストだったら、今日のエマールの演奏を聴いたら、ピアニストを辞めたくなったかもしれない。それほどに圧倒的であった。今までに聴いたピアノ演奏のベストと言い切っても良いと思う。生涯忘れえぬ、すさまじい演奏であった。スタンディング・オベーションはロンドンではしばしば見られるが、演奏が終わるや否や、会場の一人残らず総立ちになった演奏会というのは初めてであった。この演奏との出会いを、ただただ感謝するばかりである。
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by bibinga | 2008-02-13 23:57 |