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焼き芋にもハマっている・・・

半年ほど前に、家内が近所のスーパーで見つけて衝動買いしたという「焼き芋器」。これがなかなか秀逸。

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単なる安っぽい鍋であるが、鍋底に小石状のセラミックが敷いてある。

使い方は簡単で、さつまいもをアルミホイルに包んでセラミックの上に置き、蓋をして1時間ほどガスコンロで焼くだけ。途中、数回ひっくり返す。焼いている途中↓

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出来上がりは、アツアツのホクホク。皮ごと食べてしまう。尻尾のところが、特に美味しい。旨みが凝縮されていて、干し芋のような味がする。

近所に畑で採れた野菜を無人スタンドで売っているところがあり(田舎に住んでいるのです)、そこで100円玉1枚を竹筒に投げ入れて、さつまいもを1袋もらってくる。

ジョギングまたはウォーキングでぶらっと出て、通りがかりに芋を買い、帰宅してシャワーで汗を流す間に芋を焼き、風呂上りの熱が取れたところでおもむろに芋をほおばる。

最近の週末はもっぱらこのパターン。今はやりの「地産地消」である。

ノート
・ 1983年から約5年間、週刊文春に「糸井重里の萬流コピー塾」という連載コーナーがあったの
  をご記憶の方はいらっしゃるだろうか? 週刊誌を読む習慣はないのでリアルタイムで読んで
  いたわけではないが、連載をまとめた文庫本「(ぶんこ版)糸井重里の萬流コピー塾」を買っ
  て、このコピー塾に見られる言語感覚の鋭さに、すっかり魅入られたのである。
・ 購入後20年以上経ち、文庫本は茶色く変色しているが、今でも時々引っ張りだしては読んで
  いる。
・ で、確か萬流コピー塾のお題に「焼き芋」があったよな、と思い、文庫本をめくってみると、果たし
  て1984年2月、連載第26回のお題が「やきいも」であった。
・ 面白いコピーばかりではないのだが、多数の同巧コピーを退けて選に入ったコピーは、どれも視
  点が斬新だ。読み返しながら、うーむ、いつ読んでもこの本は素晴らしい、と一人感じ入ったの
  であった。
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by bibinga | 2008-11-24 12:05 |  

しょうが飴にハマっている・・・

このところ、とある「しょうが飴」がえらく気に入っている。これ無しでは生きられない・・・、と言うのは大げさだが、家にも会社にも常備し、出かける時には忘れずにポケットに2・3個しのばせる。

その「しょうが飴」とは、これである。

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うどんや風一夜薬(かぜいちやくすり)本舗の「特製しょうが飴」。

辛さは「中辛」と「辛味絶佳(からみぜっか)」の2種類があるが、私は断然、「辛味絶佳」派である。「中辛」も美味しいが、まあ、そこらで売っているしょうが飴の延長線上の味である。

しかし、「辛味絶佳」になると生姜のエキス分が並大抵ではない。これは旨い!!
気のせいか、1個1個、微妙に味が違うような気がする。飴に含まれている生姜一つ一つの辛さの違いなのかもしれない。

かなり辛いので、しょうが飴系統の味が苦手な方にはお薦めしないが、しょうが好きの方々には、これからの季節、喉が痛い時には、ぜひこの飴を試していただきたい。

ノート
・ うどん屋風一夜薬、どうして「うどん屋」? それは、「風邪をひいたら、アツアツのうどんをすすっ
  て、風邪薬を飲んで治す」ということで、ここの風邪薬がうどん屋においてあったからだそうだ。
  ちなみに、東京では同じ風邪薬が「そばや風一夜薬」という名前で売られていたそう。

・ また、ここの風邪薬、壺井栄の「二十四の瞳」にも登場するという。
   「大石先生、青い顔よ。」
   田村先生に注意されると、よけいぞくりとした。
   「なんだか、つかれましたの。ぞくぞくしてるの」
   「あら、こまりましたね。お薬は?」
   「さっきから清涼丹をのんでますけど。」といいさして思わずふっとわらい、
   「清涼でないほうがいいのね。あついうどんでも食べると・・・・」
   「そうよ。おつきあいするわ。」
   -- 略 --
   「大石先生、うどん屋かぜ薬というのがあるでしょ、あれもらったら?」


・ 以上は、うどんや風一夜薬本舗のHPからの引用
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by bibinga | 2008-11-22 16:13 |  

ボージョレ・ヌーヴォー解禁

d0135403_143596.jpg11月20日(木)

11月の第3木曜日はボージョレ・ヌーヴォーの解禁日。

一時のブームはすっかり陰をひそめ、盛り上がりに欠ける解禁日だったが、またと無い「飲ミニケーション」のチャンスでもあるので、部の連中を誘って9名で解禁を祝してヌーヴォーを飲みに行った。

この日飲んだヌーヴォーは、ボージョレの帝王、デュブッフのものである。デュブッフは、サントリーが輸入代理店となっていて日本にたくさん輸入されているが、大量生産の割には品質は安定しており、信頼できる。

デュブッフのヌーヴォーは、今年もピュアでかぐわしく、「あー、ボージョレ・ヌーヴォーはこんなに美味しく作られるようになったんだな。このワインを飲めて幸せだな。」としみじみ思ったのであった。

値段は決して安くはない。ボージョレ・ヌーヴォーはワインそのものは安いが、解禁日直後に流通するワインは航空便で引いているので、輸送コストが上乗せされて若干高めになる。

とはいえ、一昔前は小売で1000~1500円で売られていたのに、今や2500円が標準というのは、ちょっと高すぎるように思う。おそらくボージョレ・ヌーヴォーの仕入れは、このところの円高の前に為替を取っていたのではないか。今の為替水準が続けば、来年はだいぶ値下がりするだろうと想像する。

今日飲みに行った店では、デュブッフのヌーヴォーは1本3900円だったが、我々は「飲み放題」コースを頼んでおり、ヌーヴォーを2本、サービスで出してもらった。まずまずの戦果である。(予約の時に、気合い入れて交渉した成果である)

5年ぶりに日本のヌーヴォー戦線に参戦して驚いたのは、以前はなかなか手に入らなかった、ビオ系のヌーヴォーがたやすく手に入ることである。かつては、パカレやコサールのヌーヴォーを扱っている店は限られていたが、今ではパカレもコサールもラピエールも、そしてルロワのボージョレ・ヌーヴォーさえも、簡単に買うことができる。そして、これらのワインは、一般のボージョレ・ヌーヴォーと違って、それほど値上がりしていない。

2003年のパカレのヌーヴォーは2900円だったが、今年はだいたい3500円近辺。一般のボージョレが2倍近い値上がりをしているのに比べると、とてもリーズナブルだ。パカレのボージョレはバナナの味がして、すいすい飲めて、大層美味しい(というか、2003年は美味しかった)。そして、ルロワのボージョレは、4500円程度で売られているようであり、この値段なら飲んでみたいと思う。

まあ、でも、1ヶ月くらい待てば、売れ残りのヌーヴォーの安値処分が始まり、さらに、その頃には輸送コストの安い船便のヌーヴォーも到着して一気に値段が下がるので、それを待つのも一策であろう。

一昔前は、ボージョレ・ヌーヴォーなんて、解禁直後にお祭り気分で飲むならともかく、1ヶ月も経ってしまったらお金を出して買いたいとは思わなかったものだが、最近の醸造テクノロジーの成果であろう、今日飲んでみたところでは、どうしてどうして、上出来の美味しいワインであった。これが千円台に下がってきたら晩酌用に買ってもいいな、と思った次第。
(満足度80→解禁プレミアム込み)

ノート
 今日の飲み会で「ボージョレ・ヌーヴォー」をお題に、駄洒落を考えてもらった。語呂合わせの難し
 い言葉ではあるが、出てきたものは、
    ① ダージャレ・ヌーヴォー
    ② 言う事を聞かない家内(強情な女房)
    ③ 竹刀の上で服を脱ぐ(棒上でヌード)
    ④ 武道の稽古場で坊主に遭遇(道場で入道)
    ⑤ 牧畜(農場で乳業)
 などであった。(あ、全部自作か・・・)
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by bibinga | 2008-11-21 01:04 |  

コンサート備忘録(エヴァ・メイ&アントニーノ・シラグーザ)

d0135403_8165321.jpg2008年11月11日(火) 東京文化会館大ホール

S) エヴァ・メイ
T) アントニーノ・シラグーザ

P) パオロ・バッラリン

                        ちなみにシラグーザは現在こうなってます・・・  ↓d0135403_8171298.jpg


ドニゼッティ 歌劇「ドン・パスクァーレ」より"その眼差しの魔力を" (メイ)
  同     歌劇「ドン・パスクァーレ」より"もう一度、愛の言葉を" (デュオ)
ベッリーニ  歌劇「清教徒」より"いとしい乙女よ、あなたに愛を"(シラグーザ)
ドニゼッティ 歌劇「連隊の娘」より"高い身分と豪勢な暮らしに…フランス万歳"(メイ)
  同    歌劇「連隊の娘」より"マリーのそばに居るために"(シラグーザ)
  同    歌劇「連隊の娘」より"何ですって? あなたが私を愛している?"(デュオ)

カルディッロ カタリ(メイ)
ララ     グラナダ(シラグーザ)
ベッリーニ 歌劇「夢遊病の女」より"おお、花よ、お前に会えるとは思わなかった…ああ、この思い
       を乱さないで"(メイ)
  同    歌劇「夢遊病の女」より"この指輪を受けてください"(デュオ)
ドニゼッティ 歌劇「愛の妙薬」より"人知れぬ涙"(シラグーザ)
  同    歌劇「愛の妙薬」より"そよ風に聞けば"(デュオ)


一晩経った今でも、興奮冷めやらない。未だに頭の中で、二人の歌声が響いている。

エヴァ・メイは、華のある歌手だ。リサイタルであっても、実に表情豊かでオペラ的な歌い方、まさに「歌姫」と呼びたくなる。ヴィブラートをたっぷりかけた鈴を転がすような美しい声は、東京文化の3階席まで、見事に通ってくる。

「連隊の娘」は昨年の1月、英国ロイヤルオペラで2度ほど観ており、その時はナタリー・デッセイとフローレスが超絶の名演を聴かせたのであったが(参考:ロンドンの椿姫さんのブログのここここここ)、エヴァ・メイのチャーミングな歌声を聴いて、当時の記憶が鮮明に蘇ってきた。メイはデッセイよりも声がfatだし、歌い方や動作が似ているわけではないが、メイのマリーもデッセイに劣らず魅力的だ。

後半の「夢遊病の女」のアリアも実に聴き応えがあり、拍手喝采。いやー、エヴァ・メイ、うまいよ、うまい!ブラヴァー!

シラグーザは、、、出だし全く良さが無く、どうなることかと思った。リリコ・レッジェーロにしては割と強い地声を持っているような気がするが、そのせいか、調子が出ないと高音域で響きが暗くなる。前半は、声量はあるものの輝きがなく、エヴァ・メイとの差が歴然だった。

ところがぎっちょん、後半になるとエンジンが温まってきたのか、俄然声に張りが出てきた。「愛の妙薬」"人知れぬ涙"は、切々とした歌い回しがツボにはまり、感動。

最後の"そよ風に聞けば"のデュオは、二人とも相当得意にしているのか実に堂に入った歌いぶり、ピアノの合いの手も抜群にセンス良く、この名コンサートを締めくくるのに相応しい名演だった。

と言ってはみたものの、実は真骨頂はアンコールにあった!

まず1曲目は、エヴァ・メイがラ・ボエムのムゼッタのワルツを歌う。ああ、あまりの美しさに身も心もとろけそう。

続いてシラグーザ。キターッ。連隊の娘、Hi-C 9連発。す、す、すごい。フローレスさまも真っ青。あまりにも平然と出すので、高音であることに気づかない人もいたのではないか、と思うくらい(もちろん、音を下げたりせず、ちゃんとCで歌ってました)。最後の9発めでは、まだまだ長~く伸ばせるぞ、と言わんがばかりに腕時計を覗き込むフリをして見せたりして余裕綽々、大したおやじである。いやー、ほんとに凄かった。

3曲目はデュオで、オー・ソレ・ミオ。これ、泣いてしまいました。言葉になりません。。。。

アンコールのラストもデュオで、ラ・トラヴィアータの乾杯の歌。言うこと無し。最高。絶句。唖然。陶然。放心。放屁(うそ)。失禁(うそ)。

もっともっと聴いていたい、素晴らしいコンサートだった。(後半からアンコールは時間の経つのを忘れて聴き入ったが、何が一番かと問われれば、オー・ソレ・ミオだなぁ。)

この後、13日(木)に池袋の芸劇で、16日(日)には大阪・サンケイホールブリーゼで公演予定あり。絶対、おすすめです。(自分自身、もう一度聞きたいと思うほど)
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by bibinga | 2008-11-13 00:52 |  

コンサート備忘録(ウィーン国立歌劇場 ロベルト・デヴェリュー)

d0135403_142792.jpg2008年10月31日(金) 東京文化会館大ホール

ウィーン国立歌劇場
ガエターノ・ドニゼッティ 「ロベルト・デヴェリュー」
(演奏会形式)

指揮:フリードリッヒ・ハイダー(Friedrich Haider)
合唱指揮:トーマス・ラング(Thomas Lang)

エリザベッタ:エディタ・グルベローヴァ(Edita Gruberova)
ノッティンガム公爵:ロベルト・フロンターリ(Robert Frontali)
サラ:ナディア・クラステヴァ(Nadia Krasteva)
ロベルト・デヴェリュー:ホセ・ブロス(Jose Bros)
セシル卿:ペーター・イェロシッツ(Peter Jerosits)
グアルティエロ・ローリー卿:甲斐栄次郎
執事:伊地知宏幸
ノッティンガム公爵の親友:マリオ・ステッラー(Mario Steller)

ウィーン国立歌劇場管弦楽団、ウィーン国立歌劇場合唱団


女王グルベローヴァのためのコンサートと言っても過言ではなかろう。ほとんどの聴衆の目当ては彼女だったろうし、興行側もそれを意識していたはずだ。

確かにグルベローヴァは素晴らしかった。この曲は魔笛のようにHi Fを要求したりはしない曲だが、数回のHi Dは軽々出していたし、あれだけ長く歌った後の最後のEs(かDis)をあそこまでクレッシェンドするとは、恐れ入りました、と頭を下げるしかない。(当日耳で聴いただけで楽譜を確認していないので、音が違っていたらすみません)

満員の聴衆も拍手喝采、彼女の比類なき輝かしい歌声に、惜しみない賞賛を贈っていた。

・・・が、私は彼女の歌には、ちょっと引いてしまう。歌唱技術の素晴らしさを認めるにやぶさかではないが、あまりにも平然と苦も無く歌ってのける(実際は苦も無く、などということはないのだろうが)ので、気持ちを移入できないのだ。芸術というよりは、スポーツ競技のように感じてしまう。

このあたりは良し悪しの問題ではなく、好みの問題だろう。どうやら私は、強い輝きよりも、涙を誘うはかない存在に肩入れしたくなるようだ。ワインの好みにしても、アグネス・ラムのようなカリフォルニアワインよりも、樋口一葉のようなフランスワインが好きだ。(この例えが適切かどうかは、あまり突っ込まないで・・・・)

ま、でも、この怪物歌手の威力は十分に堪能できた。

他の歌手陣では、ホセ・ブロスが圧倒的に良かった。こせこせせずに、大らかで伸びのある歌いっぷり。大いに気に入った。

フロンターリも適度に陰影をつけた歌い方が非常に良かった。「この人にジェルモンを歌わせてみたいな」と思いながら聴いていたが、帰宅して調べたら、果たして、ジェルモンは彼の十八番のようだった。

サラを歌ったクラステヴァは技術的には十分上手いのだが、ちょっと詰まった声質で、聞いていて息苦しくなる。個人的にはこういう声は好みではない。

いただけなかったのは、オケ。演奏会形式なので、オケはピットではなくステージ上に乗った。ウィーンの素晴らしい音を存分に楽しめるだろうと期待していたら、あにはからんや、アンサンブルが粗雑で、音色も精彩を欠いていて、がっくり。焦点の定まらない、寝ぼけた演奏だった。

ウィーン国立歌劇場、ウィーンフィルは、この5年間に、ウィーン、ロンドン、日本で20回以上聴いているが、その中のワースト3に入ると思う。

時差ぼけか、と思ったが、来日してから相当時間が経過しているはずだから、それはあるまい(27日のコジはとても良かったし)。おそらくは練習不足であろう。(さもなくば指揮者のせいか?)

d0135403_104825.jpgこの日の席は3階の最前列。舞台から多少距離はあるものの悪い席ではなく、たぶんB席相当くらいだと思うが、プレミアムエコノミー席という区分で拾い、えらく安く買えた(B席の半額よりずっと安い!)。

投売り価格のチケットが出るとは、さすがのグルベローヴァもそろそろ飽きられたか、と思って行ったら、案に相違して会場は満席。文化会館の前には「チケット買うよ~」としわがれたダミ声を出すダフ屋や、「求むチケット」の札を掲げた人も何人か見受けられた。ホール入り口には「大入」の札が。

なぜ、あんなに安くチケットが買えたのか、今だに不思議である。


ノート
・ この駄洒落、絶対に誰か考えたはずと思って調べたら、やっぱりありました。美味しいものを食
  べ歩くお婆さんたち
、すなわち「グルメ老婆」の会。
・ 調子に乗って、では「雨降りの日に出歩くお婆さんの会」はあるかいな、と思って調べたら、こ
  れは見つかりませんでした。・・・「傘老婆」の会
  (カサロヴァは来年3月に、サントリーホールでカルメン(演奏会形式)を歌う予定です)
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by bibinga | 2008-11-06 01:00 |  

オペラ備忘録(ウィーン国立歌劇場 コシ・ファン・トゥッテ)

d0135403_1122313.jpg2008年10月27日(水) 東京文化会館大ホール

ウィーン国立歌劇場
モーツァルト 「コシ・ファン・トゥッテ」

指揮:リッカルド・ムーティ (Riccardo Muti)
演出:ロベルト・デ・シモーネ (Roberto de Simone)

フィオルディリージ:バルバラ・フリットリ(Barbara Frittoli)
ドラベッラ:アンゲリカ・キルヒシュラーガー(Angelika
Kirchschlager)
グリエルモ:イルデブランド・ダルカンジェロ(Ildebrando D’Arcangelo)
フェランド:ミヒャエル・シャーデ(Michael Schade)
デスピーナ:ラウラ・タトゥレスク(Laura Tatulescu)
ドン・アルフォンソ:ナターレ・デ・カローリス(Natale de Carolis)

ウィーン国立歌劇場管弦楽団、ウィーン国立歌劇場合唱団


期待どおりの極上の演奏!

よくもこれだけ最高レベルの歌手をずらりと揃えたものだと感心するが、その歌手達が作り上げる音楽に、心底驚嘆した。

ソロが良かったのは当然として、とにかくアンサンブルの美しさが筆舌に尽くしがたい。中でもフリットリとキルヒシュラーガーの繰り広げる女声ニ重唱は圧巻で、そのとろけるような美しい響きは、もう、「天にも昇る心地」とでも言う他無い。


歌手は6人とも素晴らしい出来であったが、中でもフリットリは飛び切り。彼女の声は、天から降ってくるような丸い響きを持っている。滑らかで艶があり、わずかに翳りを帯びているのがまた良い。最初は少し抑え目のように感じたが、1幕第14番「岩のように・・・」あたりから絶好調、2幕第25番のロンド「お願い、許して恋人よ」では、全身鳥肌。「フリッ鳥」になってしまった。

「真の感動は弱音から生まれる」というのが私の持論であるが、フリットリを聴くと、その意を強くする。力強いフォルテも見事だが、弱音に込められた張りのある美しさは一層素晴らしい。フォルテに乗って声高に強調された情念よりも、押し殺してピアノの中に閉じ込められた情念の方が、聴き手の心の中で感動を増幅させるように思えてならない。

キルヒシュラーガーは、透明感があって理知的。歌も演技も、この人は「とっても良い」雰囲気を発散しており、好きにならずにはいられない。ただ、声の質にわずかに潤いに欠ける面があるような気がする。

シャーデの声は密度感があって好みに合う。2幕第27番のカヴァティーナ「不実な心から裏切られて」は特に素晴らしく、こういう心の揺すぶり方はバリトンにはなかなか真似のできないことで、テノールという声域の持つアドバンテージだな、と思わされる。

ダルカンジェロの終始安定して朗朗と響く声はとても豊かで、しかも色気がある。この声で口説かれたら、ドラベッラならずともイチコロであろう。

デスピーナを歌ったタトゥレスクは大歌手達に全く位負けせず、堂々と存在感をアピール。侮れない実力である。コミカルな中にも知性を漂わせる演技であった。

カローリスは性格付けがあまりはっきりせず、やや淡白であったが、落ち着いた声で舞台を引き締めていた。


コシ・ファン・トゥッテとは「女はみんな、こうしたもの」という意味。恋人の貞節を信じる2人の士官フェランドとグリエルモを、老哲学者ドン・アルフォンソが「女性の貞節なんてあり得ない」と挑発。賭けに乗った2人は、別人になりすまして互いの相手を(フェランドがフィオルディリージを、グリエルモがドラベッラを)口説くと、信じていた恋人達はあえなく陥落。士官二人は恋人達の裏切りに絶望し、憤慨する、という(無茶苦茶な)話である。

騙した男達が悪いのか、騙されて浮気した女達が悪いのか、人によって見方はいろいろだろうが、意思決定論的に非常に興味深い要素が幾つか含まれているように思う。

例えば、「無意識」の働き。近年の研究によれば、「無意識」が人間の意思決定に大きな影響を与えているという(ただし、無意識は常に正しい意思決定を導くとは限らない)。

2幕終盤に、フィオルディリージが軍服を着て男達の居る戦場に向かおうとする場面があるが、この時、彼女は「私にはフェランドの軍服がピッタリだわ。ドラベッラはグリエルモのを着ればいいわ。」と、フェランドの軍服を着てしまうのである。

この時点ではフィオルディリージはまだグリエルモに貞節を誓っており、フェランドに口説き落とされるのはこの5分後なのだが、、、、彼女の無意識は既にフェランドを選んでいる。

また、ドラベッラは、「恋人が戦場に行くなんて、別の男を見つけるチャンスじゃありませんか」というデスピーナの意見を、グリエルモに魅かれ始めた自分の気持ちを正当化するために利用しているように見えるが、これは「確証バイアス」が働いていると考えてよいだろう。

確証バイアスとは、「人は何かを信じると、それを裏付ける意見にだけ耳を傾けがちになる」、つまり反対意見を聞かず、自分に都合の良い情報だけを取りたがる、という傾向のことである。

(オレオレ詐欺にかかった人が、銀行員が制止するのを聞かずにお金を振り込んでしまうのも一種の確証バイアスと言えるだろう。「確証バイアス」でインターネット検索するといくらでも解説が出てくるが、例えばこれなどわかりやすい。)


コジのストーリーは、私の解釈では、4人の恋人関係は、元々のペアよりも、取り替えた後のペアの方が本当はしっくりいく。フィオルディリージとドラベッラは、どうやら、そのことに気づいているが、あえてその気持ちは飲み込んで、元の鞘に収まることを選択する「分別のある女性達」だ。

デスピーナは小間使いでありながら、進歩的でインテリジェンスのある女性(老哲学者に釣り合う)。彼女が主張しているのは、浮気の勧めというよりも、女性はもっと主体的に考え行動していいのだ、ということに違いない。(ダ・ポンテがそこまで意識していたかどうかはわからないが、現代からはそのように読み解きたくなる。)

今回の公演では、カーテンコールでフィオルディリージとフェランド、ドラベッラとグリエルモという(取替後の)組み合わせで出てきたり、タトゥレスクの役作りが「知的なデスピーナ」を感じさせたことから、シモーネ演出は、私の解釈に近いのではないかと感じた。(→こういうのを「確証バイアス」という…爆)

最後にムーティの指揮についてであるが、薄っぺらな盛り上げに走ることなく、丁寧で、じっくりと落ち着いた音楽作り。全体が調和し、オケと歌が溶け合って、とても優しい音がしていた。この公演で、誰が一番凄かったかと言えば、やはりムーティかもしれない。

B席(2階横の一番ステージ寄り)を買うにも大枚を必要としたが、これだけ質の高い上演は一生にそう何度も聴けるものではない。金額に見合う価値があったと思う。

ロベルト・デヴェリューについてはまた後日。
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by bibinga | 2008-11-03 23:58 |