オペラ備忘録(英国ロイヤルオペラ、パルジファル)

2007年12月9日(日) ロイヤル・オペラ・ハウス

ワーグナー 舞台神聖祝祭劇「パルジファル」

K.M.グルーバー演出
ハイティンク指揮
英国ロイヤルオペラ
グルネマンツ:ジョン・トムリンソン
アンフォルタス王:ファルク・シュトルックマン
パルジファル:クリストファー・ヴェントリス
クンドリ:ペトラ・ラング


パルジファルを観るのは今回で3度目である。

1度めは1989年、NHKホールにおけるウィーン国立歌劇場の来日公演であった(指揮はホルライザー)。もう18年も前のことで、実はその時が私のオペラ初体験である。

当時、入社5年目の安月給では高額なオペラチケットに手が出せるはずはなく、行けるなどとは全く思ってもみなかったが、親友だったN君のお父上が「招待券があるから、音楽に興味のある君に上げよう」とおっしゃってくださったのである。

中学・高校・大学・社会人とずっとオーケストラでフルートを吹いていた私は、管弦楽のコンサートは時々聴きに行っていたが、歌・オペラにはほとんど関心が無く、知識は皆無だった。しかも初オペラがパルジファルというのはかなり難易度が高いシチュエーションであった。

しかし、初めて観るオペラは非常に面白く、正味4時間半という長大な作品を、食い入るように観た。「歌の上手い/下手は、歌手についての知識が全く無い素人の耳にも何となく分かるものなんだなぁ」と感じたことを覚えている。そしてウィーン国立歌劇場のオケの音色は、音響の良くないNHKホールにおいてすら、実にしっとりとして豊潤で、心底聞き惚れたものだ。N君のお父様に感謝、である。

N君とは中学1年の時、同級生だった。杉並区から中央線を使って通う4人、自然と仲良しグループを結成するようになった。

明るくてちょっと甘えん坊のS君、
頭脳明晰で理科系教科に天才的な閃きを見せるK君、
本の虫でダジャレや子音変換遊びが得意だった私、
そして、皆から信頼され、まとめ役になることが多かったN君。

(子音変換遊びとは、4人のうち誰が考え付いたのか忘れたが、言葉をラ行に置き換えて発音し、元の言葉を類推して当てる遊びである。例えば、「ララレンロウ」→「甘えん坊」、「ルローレリレリ」→「頭脳明晰」といった具合)

私が中2の夏に東北地方に引っ越した後も、友人関係は続き、東京の大学を受験した時にはN君の家に泊めていただいて、お世話になった。N君は京大を受けに行くので、その間彼の部屋が空くから、とご両親から親切なお申し出をいただいたのである。

しかし、その親友だったN君とNHKホールでのパルジファルを、一緒に観ることはできなかった。N君はその4年前、22歳の若さでこの世を去ってしまっていたのである。


2度目のパルジファル、それは割と最近の2004年4月、オーストリアの某地方都市の歌劇場にて。これもまた親友絡みである。

私が初めて海外勤務の辞令を受け、ロンドンの地に降り立ったのは2004年3月15日であった。それから1ヶ月もしない4月9日、イースター4連休を利用してオーストリアに住む親友H君を訪ねたのである。

H君はオーボエ吹きで、かつて私が所属していた大学オケが「惑星」を演奏した時、当時音大生だった彼が、エキストラとしてイングリッシュホルンを吹きに来てくれたのが知り合ったきっかけである。

彼は音大卒業後、しばらく国内でプロとして活動していたが、1980年代後半に当地の歌劇場のオーディションに合格し、以来、20年間、そこでの生活を続けている。日本から手紙のやり取りはたまにしていたが、久しく会っておらず、せっかくロンドンまで来たことだし、ちょっくら会いに行ってみるか、と思って連絡を取ったところ、「丁度その時期パルジファルを吹くから、何が何でも聴きに来い」と言ってくれたのだった。パルジファルはGood Friday(聖金曜日)に起きた奇跡を題材にしており、イースターによく上演される。

1899年設立という由緒ある名門歌劇場の一員として彼が演奏するのを聴いて感慨ひとしおであった。


さて、ようやく、本日の公演についてである。

キャストが素晴らしく、
グルネマンツ:ジョン・トムリンソン
アンフォルタス王:ファルク・シュトルックマン
パルジファル:クリストファー・ヴェントリス
クンドリ:ペトラ・ラング

トムリンソンは最初から最後まで声量があり、張りのある堂々とした声を聴かせてくれ、シュトルックマンもまずまず。ペトラ・ラングは1幕では映えなかったが、2幕の長い見せ場では声と表現に持続力があり、頂点へ向けての盛り上がりに非凡なものがあった。ヴェントリスもつやのある声が遠くまで良く伸びていた。全員が全員、演技も歌唱も非常にレベルが高く、休憩入れて5時間半の長丁場であったが、全くダレることなく、終始緊密な舞台であった。

しかし、歌手もさることながら、本日のハイライトはハイティンクとオケである! ロイヤルオペラのオケは好不調の波が結構あって、ポテンシャルはあるに違いないと思われるのに、雑な演奏にがっかりすることも多い。そのオケが、今日は本当に素晴らしかった!!

ロイヤルオペラは過去3年間に60回は観ていると思うが、オケがこれほど良かったのは、ちょっと記憶にない。明らかにハイティンクの神通力である。オーラが見える。オケの音は、いつもより編成が大きく、非常にパワフル。オペラハウスが震えるような大音量に圧倒されるが、しかし、その音は決してうるさくは感じない。音程も良く合い、美しいアンサンブルであった。隅々まで神経が行き届いた演奏であった。木管、特にフルートの音は澄み切っていて、心が洗われた。いつもなら音を外して興をそぐ金管も、今日は実に良く吹いていたし、何より音が生きていた。

ハイティンクの音楽の大きさ・深さが歌手やオケに浸透し、全員が同じ呼吸をしていたのだろう。これほどまでに説得力に満ち、魂に届く音楽を聴けることは滅多にない。ハイティンク、巨匠である。

私はワグネリアンではないが、パルジファルの音楽には、何か通常の音楽を超えた力を感じ、その深さ・神秘的な響きに心を揺さぶられ、特に幕切れの音楽的高揚には言い知れぬ感動を覚えた。2人の親友への思いも合わさり、言い知れぬ感慨に浸った一夜であった。
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# by bibinga | 2007-12-09 23:37 |  

コンサート備忘録(ガッティ指揮アムステルダム・コンセルトヘボウ)

2007/11/30 ロイヤル・フェスティヴァル・ホール

ダニエレ・ガッティ指揮
ヴァディム・レーピン(Vn)
アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団

シューマン マンフレッド序曲
メンデルスゾーン ヴァイオリン協奏曲
チャイコフスキー 交響曲第5番


ガッティは、大好きな指揮者である。大きなフレーズ感、歌い回しの感性が私のツボにはまっている。この日の演奏も「ガッティ節」全開で大いに楽しませてくれた。

メンデルスゾーンでのレーピンのソロは、ホールの音響がデッドなせいか、音が今ひとつ伸びて来なかったが、細かい音符を一音一音明確に弾き切る技術の冴えはさすがであり、安易に感傷に流れることなく、音楽そのものが持つ美しさを味わわせてくれた。

圧巻はチャイ5。特に第2楽章は素晴らしかった。まず、ホルンを筆頭に管楽器のソロの美しさは特筆もの。そして、ガッティのフレーズの歌わせ方はしなやかで、広がりがあって、音の絨毯がふわりと宙に浮くかのよう。その大きなうねりにいつまでも身を任せていたい、と思いながら聞いていた。

ガッティの音楽作りには一貫性があり、全体を推進する太い骨が通っているように思う。テンポ設定や各楽章の表現も全体の構成を考えて取られているように見受けられ、例えば、1楽章終結部で強調していた金管の刻みが、4楽章冒頭を聞いて、なるほどここにつながるのか、と思わされた。

全般にテンポは快速系であるが、その中で大きなフレーズでのたっぷりとした歌い回しを聞かせてくれ、「音楽の喜び」を楽員や聴衆と共有させる力を持つ指揮者だと思う。欲を言えば、表現や音量をあえて抑えることによって、はっとするような美しさを引き出してくれたらもっと良いのに、と思うことはあるが。。。 (つまり、押すだけでなく、引く美しさである。)

コンセルトヘボウは実に上手い。私見では、オケの技術の高さはベルリンフィルがずば抜けているが、コンセルトヘボウはシカゴと並んでベルリンの次に来るだろう。ウィーンフィルよりも技術的には上手い。(ウィーンにはウィーンの良さがあることは言うまでもないが)

ベルリンフィルの管楽器は、音色の美しさ・透明感、音程・リズムの完璧さ、ダイナミクスの幅広さなど、およそこれ以上は考えられないというほど高度なレベルにある。細い糸1本のような極く極く小さい音量でホルン2本が完璧にハモったり、パユとマイヤーが最新鋭戦闘機が宙を舞うかの如く自在で多彩に吹いたりするのを聞くと、「オーケストラというのはこんなにも凄いことができるのか」と唖然とする。「スーパーカー」的な上手さである。

これに対し、コンセルトヘボウは管も弦も音が柔らかく、各楽器の音が良く溶け合っており、聞いていてしみじみと心地よさを感じる、そういう上手さである。ホルン、ファゴット、クラなどの音色は暖かく、伸びと丸みがあり、いつまでも聞いていたいと思ってしまう。フルートは名手エミリー・ベイノンが吹いていたが、今回は見せ場の少ないプログラムで残念であった。

ガッティはロイヤルフィルを振るときには、表現の振幅は大きいけれども、テンポの設定などでは、オケの能力を考えて無理はしていないのではないかと思う。しかし、コンセルトヘボウはガッティのどんな要求にもピタリと反応できる技術を備えており、この日はガッティも思う存分、納得のいく音楽作りができたのだろう。指揮者とオケのコラボレーションの密度の高さが客席にも伝わってきて、充足感のあるコンサートであった。

近頃私が贔屓にしている指揮者は、ガッティ、ヤンソンス、ハイティンク。

濃くて歌心のあるガッティ、知的で構成力のあるヤンソンス、品格があり端正で引き締まった音楽を作るハイティンク(指揮台に立った時のオーラは巨匠と呼ぶに相応しい!)、と3人の持ち味は全く異なるものの、皆、コンセルトヘボウとつながりが深い。良いオケにして良い指揮者あり、むべなるかな。
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# by bibinga | 2007-11-30 23:56 |  

コンサート備忘録(プレトニョフ指揮フィルハーモニア)

2007年11月29日(木)  ロイヤル・フェスティヴァル・ホール

ミハイル・プレトニョフ指揮
ボリス・ギルトバーグ(Pf)
フィルハーモニア管弦楽団

ボロディン 中央アジアの草原にて
ラフマニノフ ピアノ協奏曲第2番
ドヴォルザーク 交響曲第9番「新世界から」


もともとは行くつもりの無かったコンサートであるが、東京からロンドンに出張中の方からチケット取得を頼まれ、自分も一緒に行くことにした。美女2名と同行、その時点で◎である(笑)。

ラフマニノフのソロを弾いたのは23歳の若手ピアニスト。ピアノという楽器を「鳴らす」弾き方のように思えた。指使いも時としてハープをかき鳴らすかのよう。鍵盤を叩くことよりも、鍵盤から指を離すことに神経を使っているように見える。

低音にボリューム感があって、底から湧き上がってくるような重心のすわった音がする。反面、高音域ではやや輝きが足りない。オケとはよく噛み合っていた。全般に手堅くまとめていて、地力はしっかりしているが、やや地味であり、もう少し華が欲しいところ。

さて、プレトニョフの新世界である。

極めて作為的な解釈であった。特に第1楽章のテンポはいじりにいじっており、まるで別の曲。冒頭、超スローなテンポで始まり、フルートは通常一息で吹くところを、あまりにも遅いテンポだったので、ケネス・スミスは2度ブレスを取っていた。主部に入ると一転、第1主題は恐ろしく速いテンポで怒涛の驀進。かと思えば、第2主題の手前でがくっとテンポを落とす。テンポの急変にオケがあたふたしながらついて行っている様子は、気の毒にすら思えた。

運命・未完成・新世界、といった「今さら」という曲を演奏するからには、何か違ったものを見せたくなるのはよくわかる。しかし、この解釈はあまりにも奇抜で、音楽の流れが分断されてしまっており、個人的には賛同できない。

我々が固定観念を持ってしまっている曲に、全く違う角度から光をあてて、驚かせてくれる演奏家は凄いと思う。プレトニョフも、こういう解釈を考え付くことができること自体、素晴らしい創造力を持っているのだと思う。問題は、それがいつも成功するとは限らないことであろう。個性的な解釈は興味深いけれど、それが音楽的に説得力を持っていなければ、変わった演奏だね、で終わってしまう。

いつも個性的な解釈で新鮮な驚きを与えてくれ、それがほとんど常に素晴らしい結果につながる演奏家もいる。このあたりは主観の問題なので異論もあろうが、私は、ピアニストではグリゴリー・ソコロフの名を挙げたい。(グールドや指揮者のチェリビダッケ、と言う人は多いだろう。)

片や、あまり突飛な解釈はせず、オーソドックスなアプローチを取りながらも、曲全体の構成を見通した音楽作り、音色の魅力、引き締まった緊張感を通じて感動的な演奏を聞かせる演奏家も多い。例えば、去年だったかハイティンクがロンドン交響楽団でベートーヴェンの交響曲チクルスを振った時、ハイティンクはオーバーなことを何もしないのに、説得力があり、これぞベートーヴェン、という見事な演奏であった。彼が指揮台に立つと、それだけで場の空気が引き締まる。そしてそれは、堅苦しい緊張ではなく、もっと包容力のあるオーラで楽員の集中力を高めているような感じがする。全ての音が確信に満ちている。

...などと書いておきながら言うのもナンであるが、個性的かオーソドックスか、などとタイプ分けをすることには、実はあまり意味は無いと思っている。曲をいじりにいこうがいくまいが、演奏家は演奏を通じて自分の個性を見せていることに変わりは無い。「その演奏家が何を表現したいか」、そして「聴き手がそれをどのように感じるか」、これに尽きる。

プレトニョフの新世界は、彼がやろうとしていることは良くわかったけれど、何故そういう解釈を取らねばならなかったのか、釈然としない。彼は本心から「この曲はかくあるべし」と信じて演奏したのだろうか?

ともあれ、面白い演奏ではあった。気に入るかどうかは別として、新しいものに触れるのは、それはそれで楽しいのである。
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# by bibinga | 2007-11-29 23:48 |  

コンサート備忘録(オズボーン)

2007年10月17日(水) クイーン・エリザベス・ホール

スティーヴン・オズボーン(ピアノ)

ドビュッシー 子供の領分
ベートーヴェン ピアノソナタ第21番「ワルトシュタイン」
ドビュッシー 前奏曲集第1巻から№5~10
ラフマニノフ 前奏曲集Op32からNo.8~13


オズボーンを生で聴くのは2度目である。前回は2004年12月3日、メシアン「幼子イエスに注ぐ20のまなざし」全曲をウィグモアホールで聴いたのだった。

のっけから脱線して恐縮であるが、メシアンの20のまなざしは、私がはまってしまった曲の一つである。そのきっかけは、東京で聴いたミシェル・ベロフの演奏であった。演奏会のチラシには、「この曲を聞いた後のあなたは、会場に入る前のあなたとは別人になっているでしょう」という趣旨のベロフのコメントが刷られていたが、暗示に弱いのか、演奏を聴き終わって会場を出た時の私は、確かに衝撃を受け、以前にも増して変人になっていたような気がする。

以来、「まなざし」を生で聴けるチャンスは逃さず聴くようにしており(なにしろドえらい難曲なので滅多に演奏されないのだ)、ベロフ、児玉桃、木村かをり、と聴いてきて、4度目がオズボーンであった。(聴くたびに人間が変わっているかと思うとちょっと怖い) ちなみに来年2月にピエール=ロラン・エマールがロンドンで弾く(@QEH)。

(一部には私のことをメシアン教の信者と誤解している向きもあるようだが、メシアンの中で好きなのはこの曲くらいで、決してメシアン狂ではない)

さて、オズボーンに話を戻す。
オズボーンには正直なところ、あまり期待しておらず、この日のチケットも他のコンサートとの「まとめ買い割引」を得るため、枚数合わせのために買ったのだった。というのも、3年前に彼が弾いたメシアンには、あまり感銘を受けなかったからだ。

ところが、予想に反して、本日のコンサートは、今年聴いたピアノの中でも5指に入る、実に素晴らしい演奏だったのである!

子供の領分の1曲め、「グラドゥス・アド・パルナッスム博士」。この曲は、クレメンティの退屈な練習曲を嫌々練習する子供の様子をドビュッシーが面白がって描写した、と言われている。

プログラムの解説によると、ドビュッシーはこの曲を弾く演奏者に次のようなアドバイスを与えたという。“not too fast, with a little humour aimed at good old Clementi. Faster and brilliant toward the end.”(もちろんフランス語でしゃべったのだろうが…)

オズボーンはこのドビュッシーのヒントを参考にしたに違いない。

冒頭、聴き慣れたテンポよりずっと遅く、そして厳格に同じテンポを保って弾き始めた。そして、フレーズが一区切りついたところで、首を90度ひねって、客席に向かい、顔をしかめて「ベーッ」と舌を出して見せた! (つまり、「こんなつまらない練習曲、弾いてらんないわ」という少女の様子である)

その後、冒頭のフレーズが再度出てくるところ、ここからが見せ場。冒頭の弾き方からは、テンポも音色もガラッと変わり、ポルシェのアクセルを軽く踏み込んで、音も無くすいーっと加速し、澄み切った夏空の下、高原の道路をスピードを出して爽快に駆け抜けていく。ブリジット・ジョーンズのスカーフも飛んでいく(笑)。「お嬢ちゃん、ね、この曲、こんなに素敵なんだよ!」

そして最後は、テンポが一段と上がって、まばゆいばかりの輝きと喜びに満ちて、バチバチと花火の燭光がはじけるごとく、「さあ見てご覧。ピアノって、こんな力を持っているんだよ」。

あまりの見事な演奏に、出るのはため息ばかりであった。フレーズが出てくる度に全く異なる表情と色で描かれ、しかもそれが全く不自然にならず、「コレしかない」と思わせる。このような解釈をあざといと言って嫌う人もいるかもしれないが、これほどばっちり決まると、ひたすら唸るしかない。

この演奏が決まったのは、オズボーンの演奏技術が非常に高いからであろう。技術のおぼつかない演奏者が真似をしたら、さまにならない。どんなテンポでも完璧にクリアに弾き切る力があり、何色もの音色を弾き分けることのできるタッチのヴァリエーションを持ち、音楽の生き生きとした流れを作れるセンス、ユーモア、そして余裕。

オズボーンがポルシェだから可能なのである。カローラでも時速160キロは出せるかもしれないが、カローラがエンジン能力の極限で全力疾走するのと、ポルシェが鼻歌歌いながら軽く出すのとでは、同じ160キロでもまるで違うのである(と思う、、、ポルシェを運転したことはないので)。

冒頭のほんの2分もかからないような、こんな小さい曲一つを聴いただけで、ああ、今日のコンサートに来てよかった、と満足感にひたったのであった。もちろん、この日の曲目のどれもが、それはそれは素晴らしい演奏だったのは言うまでもない。ピアノのお好きな方、ぜひオズボーンをお聴きあれ。
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# by bibinga | 2007-10-17 23:30 |